大山寺
本堂(登録有形文化財)
所在地鳥取県西伯郡大山町大山9
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度23分27.5秒 東経133度32分5.6秒 / 北緯35.390972度 東経133.534889度 / 35.390972; 133.534889
大山寺(だいせんじ)は鳥取県西伯郡大山町(大山隠岐国立公園内)伯耆大山中腹にある天台宗別格本山の寺。中国三十三観音第二十九番。山号は角磐山。本尊は地蔵菩薩。
歴史上人)によって開かれたとされる。開山時は真言宗の寺院であった[1]。『選集抄』や『大山寺縁起』によると、俊方はある日大山で鹿を弓で射たが、その対象が鹿ではなく地蔵尊だったと知った[2]。俊方は殺生は罪深いことだったと悟り、出家して「金蓮」を名乗り、草庵をむすび地蔵菩薩を祀った[2]。この草庵が大山寺の起源とされる[2]。なお、この「起源」の説話が影響しているのか、現在でも、大山には石造りの地蔵が多数みられる[2]。
大山は仏教伝来前から強力な神が住むとして崇められた神道信仰の地となっており、大山寺は山岳信仰や道教も採り入れた真言宗の信仰地として多くの修行者が訪れた[1]。
平安時代の貞観7年(865年)には天台宗となり、天台宗別格本山角磐山大山寺として指定された[1]。寺には地蔵菩薩の顕現として大智明権現が祀られた[1]。寺の住職である座主は比叡山から派遣され、ここでの任期を勤めた後、比叡山に戻って昇格するという、僧侶のキャリア形成の場となった。
古くから信仰の道である大山道が岡山県岡山市から南北に整備され、途中出雲街道とも交差することもあって、信仰だけでなく、商業交通の面でも発展した。
中世には尼子氏・毛利氏などの戦国武将からも崇敬され、盛んに寄進や造営がなされた。江戸時代に入ると一時、中村一忠によって寺領の一部が没収されたが慶長15年(1610年)、西楽院の僧正豪円が幕府に働きかけたことにより大山寺領3000石が安堵された。
明治時代に入ると廃仏毀釈が起こり、明治8年(1875年)には大山寺の寺号も廃されて寺領の多くも没収となった[1]。