「大村巌」とは異なります。
日本の政治家.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}大山(おおやま) 巌(いわお).mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}大山 巖
大山巌(日露戦争後)
生年月日1842年11月12日
(天保13年10月10日)
出生地日本、薩摩国鹿児島郡加治屋町
(現:鹿児島県鹿児島市加治屋町)
没年月日 (1916-12-10) 1916年12月10日(74歳没)
死没地 日本、東京府
前職武士(薩摩藩士)
陸軍軍人
称号従一位
大勲位菊花章頸飾
大勲位菊花大綬章
功一級金鵄勲章
功二級金鵄勲章
勲一等旭日桐花大綬章
勲一等旭日大綬章
勲二等旭日重光章
元帥陸軍大将
公爵
配偶者大山沢(先妻)
大山捨松(後妻)
子女次男:大山柏
親族西郷隆盛(従兄)
西郷従道(従弟)
吉井友実(義父)
山川浩(義兄)
山川健次郎(義兄)
山川二葉(義姉)
井田磐楠(娘婿)
大山梓(孫)
大山桂(孫)
渡邉昭(孫)
第4代 内大臣
在任期間1915年4月23日 - 1916年12月10日
天皇大正天皇
第3代 陸軍大臣
内閣第2次伊藤内閣
第2次松方内閣
在任期間1892年8月8日 - 1896年9月20日
文部大臣臨時兼任
内閣黒田内閣
在任期間1889年2月16日 - 1889年3月22日
初代 陸軍大臣
内閣第1次伊藤内閣
黒田内閣
第1次山縣内閣
第1次松方内閣
在任期間1885年12月22日 - 1891年5月17日
第2代 大警視
在任期間1879年10月16日 - 1880年2月28日
その他の職歴
貴族院議員
(1895年8月5日[1] - 1907年9月20日)
(1907年9月21日 - 1916年12月10日)
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大山 巌(おおやま いわお、旧字体:大山 巖、1842年11月12日〈天保13年10月10日〉- 1916年〈大正5年〉12月10日)は、日本の政治家。陸軍大臣(初代・第3代)、陸軍参謀総長(第4・6代)、大警視(第2代)、文部大臣(臨時兼任)、内大臣(第4代)、元老、貴族院議員を歴任した。称号・階級は元帥陸軍大将。栄典は従一位大勲位功一級公爵。雅号は赫山、瑞岩。字は清海。西郷隆盛・従道兄弟は従兄弟。 薩摩国鹿児島城下加治屋町柿本寺通(下加治屋町方限)に薩摩藩士・大山綱昌(彦八)の次男として生まれた。幼名は岩次郎。通称は弥助。家紋は佐々木源氏大山氏として典型的な「丸に隅立て四つ目」である。 同藩の有馬新七らに影響されて過激派に属したが、文久2年(1862年)の寺田屋騒動では公武合体派によって鎮圧され、大山は帰国謹慎処分となる。薩英戦争に際して謹慎を解かれ、砲台に配属された。ここで西欧列強の軍事力に衝撃を受け、幕臣・江川英龍の塾にて、黒田清隆らとともに砲術を学ぶ。 戊辰戦争では新式銃隊を率いて、鳥羽・伏見の戦いや会津戦争などの各地を転戦。また、12ドイム臼砲や四斤山砲の改良も行った。これら大山の設計した砲は「弥助砲」と称され、後に日露戦争まで長く使用された(弥助は大山の幼名から)[2]。 会津戦争では薩摩藩二番砲兵隊長として従軍していたが、鶴ヶ城攻撃初日、大手門前の北出丸からの篭城側の射撃で攻略に手間どる土佐藩部隊の援護に出動するも、弾丸が右股を内側から貫き負傷し、翌日後送されている。そのため、実際大山が鶴ヶ城で戦ったのは初日のみで砲撃を指揮した訳でもなく、よく言われる「会津若松城に向けて、大砲を雨霰のように撃ちこんで勝利に貢献した」というのも事実ではない。このとき篭城側(会津藩側)は主だった兵がほとんど出撃中で、城内には老幼兵と負傷兵しかおらず、北出丸で戦っていたのは山本八重とわずかな兵たちだった。そのため狙撃者は八重であるとも言われている。この時の会津若松城には、のちに後妻となる山川捨松とその家族が籠城していた。
生涯
青年期
戊辰戦争
留学
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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