大将_(中国人民解放軍)
[Wikipedia|▼Menu]

大将(たいしょう、中国語: 大将)は、中国人民解放軍の階級の一つ。1955年から1965年までの間、中華人民共和国元帥の下、上将の上に置かれた。中華人民共和国の建国後、日中戦争および国共内戦において多大な貢献をなした中国共産党の軍事指導者に授与された。階級章は4つ星で、ソビエト連邦軍上級大将に相当する。

本項では、1988年から1994年の間に存在した一級上将についても触れる。
概要

大将の階級は1955年2月8日、第1期全国人民代表大会常務委員会第6回会議において「中国人民解放軍将校服務条例」[1]が可決され、解放軍に階級制度が導入された際に設けられた。同年9月27日には、国務院主催の階級授与式が挙行され、周恩来国務院総理から10人の軍人に大将の階級が授与されている[2]。しかし、文化大革命直前の1965年5月22日、遊撃戦争を主体とする毛沢東軍事路線への転換により、階級制度は廃止された[3][4][5]

1988年7月1日、第7期全国人民代表大会常務委員会第2回会議において「中国人民解放軍将校階級条例」が可決され、10月1日から施行されて階級制度が復活したが、大将階級の規定は廃されていた。これは「平和な時期と戦争の時期とは異なる考慮がなされる」と説明され、大将は戦時の階級とされたためである[6]。一方で、旧条例では「軍の階級は終身の称号」との規定があり、また「1955年?1965年の期間に授与された将校の階級を確認する議案」が同時に可決されたことにより、旧制度で授与された大将階級が再確認された[7]。これらは退職した、あるいは退職させられた軍人の不満を宥めるための処置であったと分析されている[8]
十大大将

1955年、次の10名が同時に任官した。彼らは合わせて十大大将と呼ばれる。全員、一級八一勲章、一級独立自由勲章および一級解放勲章を受勲している。

粟裕

徐海東

黄克誠

陳?

譚政

肖勁光 - 海軍大将

張雲逸

羅瑞卿 - 公安軍大将(1957年の公安軍廃止後、普通の大将)

王樹声

許光達 - 装甲兵大将

人民解放軍の歴史上、空軍大将は存在しない。

序列姓名肖像生年月日生誕地授与年齢没年月日死没地没年齢
1粟裕1907年8月10日湖南会同48歳1984年2月5日北京76歳
2徐海東1900年6月17日湖北黄陂55歳1970年3月25日鄭州69歳
3黄克誠1902年10月1日湖南永興53歳1986年12月28日北京84歳
4陳?1903年2月27日湖南湘郷52歳1961年3月16日上海58歳
5譚政1906年6月14日湖南湘郷49歳1988年11月6日北京82歳
6肖勁光1903年1月4日湖南長沙52歳1989年3月29日北京86歳
7張雲逸1892年8月10日海南文昌63歳1974年11月19日北京82歳
8羅瑞卿1906年5月31日四川南充49歳1978年8月3日ベルリン西ドイツ)72歳
9王樹声1905年5月26日湖北麻城50歳1974年1月7日北京68歳
10許光達1908年11月19日湖南長沙47歳1969年6月3日北京60歳

一級上将

1988年の階級制度復活時、大将の階級章とデザインは異なるが、4つ星の階級章である一級上将の階級が制定された。この階級は「中央軍事委員会の主要な指導的同志」、すなわち中央軍事委員会主席と副主席に授与されるものと説明された[9]。しかしながら、当時の中国共産党中央軍事委員会主席ケ小平と、副主席の趙紫陽楊尚昆は授与を辞退したとされ[9]、誰にも授与されることなく1994年に廃止された。
脚注^ 「 ⇒中国人民解放軍軍官服役条例」 (中国語)
^中国人民解放軍軍銜制『新華網』 (中国語)
^ 平松(1989年)、66ページ。
^第三届全国人民代表大会常?委?会第九次会??况 (中国語)
^中?人民共和国主席令(三届第5号) (中国語)
^ 平松(1989年)、78-80ページ。
^ 平松(1989年)、75・78-79ページ。
^ 平松(1989年)、80-81ページ。
^ a b 平松(1989年)、81ページ。

参考文献

平松茂雄 『ケ小平の軍事改革』勁草書房、1989年

関連項目

軍隊における階級呼称一覧

中国軍の階級

中華人民共和国元帥


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:13 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef