大宮エリー
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大宮 エリー(おおみや えりー、本名:大宮恵里子[1]1975年11月21日[2] - )は、日本の画家、脚本家CMディレクター映画監督作家エッセイストコピーライター演出家ラジオパーソナリティ

大阪府出身。血液型A型東京大学薬学部卒業[2]。株式会社電通を経て独立し[3]2021年現在は大宮エリー事務所所属。2021年8月からはマセキ芸能社と業務提携を開始した[4]
経歴

元々植物が好きであり、将来は「砂漠でも育つ植物」の研究をし地球を砂漠化から救いたかったという[5]。しかし、理系科目が苦手だったため、学校の先生から「お前は理系の大学に受からない」と言われた。その言葉に疑問を感じ、「数学が0点でも受かるところはないですか?」と質問したところ、「一つだけある。東大だ」[注 1]の言葉を受け、東京大学の受験を決意。桐蔭学園高等学校を卒業後に1年間の浪人を経て、東京大学理科二類に合格。入学後、教授から聞かされたところによると東大入試の数学は実際に0点だったという[6][7]。植物の研究者を目指して東大に進学したが、在学中に薬の副作用で喘息になり発作に苦しんでいた父を治したいとの思いから薬学部への進学を目指すようになる[8][9]進学振分けを経て、念願の薬学部に進学。ところが、前期課程(1・2年次)の教養科目は演劇論や文系科目を多く選択していたため、薬学部の授業に全くついていけなかった。化学式さえ分からず、研究用のマウスに注射を打つのも苦手であり、薬学は向いていないと考え、文系就職をするに至った[6][10]

卒業前に薬剤師国家試験を受けるように言われたが、ちょうど受験日がリオのカーニバル当日だったことから「皆がカリカリ勉強しているのに、自分だけが地球の裏側で踊っていたら面白い」と思い、ブラジルに行っていた。そのため、現在も薬剤師免許を持っていない[11]。薬学は「向いていない」と感じ転向[8]。その後の就職活動に際しては、商社、自動車メーカー、ガス会社と数々受けて33社に落ちたが[8]博報堂OB訪問をしたのをきっかけに「言葉に関わる仕事ができる」広告代理店の仕事に魅力を感じ、株式会社電通に入社[12]コピーライターとして従事するが7年で退職[9]。2006年に独立し、個人事務所である大宮エリー事務所を立ち上げる。同年、初監督作品であるショートムービー『海でのはなし。』がヒットした[13]

2010年6月29日に、はんにゃのピンチヒッターとして初の『大宮エリーのオールナイトニッポン』が放送。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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