大宮アルディージャ
原語表記大宮アルディージャ
呼称大宮アルディージャ
愛称アルディージャ
クラブカラー オレンジ[1]
ネイビー[1]
創設年1969年
所属リーグ日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョンJ3リーグ
昨季リーグ順位J2 21位(2023年)
クラブライセンスJ1
ホームタウン埼玉県さいたま市[1]
ホームスタジアムNACK5スタジアム大宮[1]
収容人数15,491[1]
運営法人エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社[1]
代表者 佐野秀彦
監督 長澤徹
公式サイト公式サイト
ホームカラーアウェイカラー
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ
エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社
NTT Sports Community Co., Ltd.種類株式会社
市場情報未上場
本社所在地 日本
〒330-0803
埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-20-1[1][2]
設立1998年12月4日[2]
業種サービス業
法人番号9030001001309
事業内容サッカークラブ運営
代表者鈴木茂[1][2]
資本金1億円
(2020年1月期)[3]
売上高34億5400万円
(2020年1月期)[3]
営業利益▲400万円
(2020年1月期)[3]
経常利益0万円
(2020年1月期)[3]
純利益2億0039万円
(2023年1月期)[4]
純資産2億1095万9000円
(2023年1月期)[4]
総資産17億3465万3000円
(2023年1月期)[4]
決算期1月期
主要株主東日本電信電話[2]
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サポーターによるコレオグラフィー
大宮アルディージャ(おおみやアルディージャ、英: Omiya Ardija)は、日本の埼玉県さいたま市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 1969年に大宮アルディージャの前身である電電関東サッカー部が設立される。1985年に民営化により日本電信電話公社がNTTとなったことに伴い、NTT関東サッカー部へと改名。1999年にJリーグに加盟。 運営会社は東日本電信電話、NTTドコモ、NTTデータなど、NTTグループ18社が出資するエヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社(NTTスポーツコミュニティ)[broken anchor]。クラブ名の「アルディージャ(Ardija)」はスペイン語でリスを表す「Ardilla」に由来し、それを読みやすいように変更した造語であり(Ll参照)、リスは旧・大宮市が1990年の市制施行50周年記念時に制定したマスコットである[5]。 クラブカラーであるオレンジとネイビーは大宮氷川神社の色であり、ホームスタジアムは大宮氷川神社に隣接している。大宮氷川神社のお守りと御朱印帳には大宮アルディージャ柄が存在する[6][7][8][9][10][11][12][13]。 クラブマスコットはリスがモチーフの「アルディ」と「ミーヤ」で、1998年にアルディ、2008年にミーヤが登場した。2009年に公式マスコットとして認定され、2012年よりゆる玉応援団のメンバーとなっている[5]。 アカデミーは大宮アルディージャユース、大宮アルディージャジュニアユース、大宮アルディージャジュニアを、女子チームとして大宮アルディージャVENTUSを保有している。 同じくさいたま市が本拠地の浦和レッズとのダービーマッチである「さいたまダービー」が存在する。 クラブの伝統は堅守であり[14]、「SPEEDY」「ACTIVE」「AGGRESSIVE」をキーワードに掲げている[5]。エンブレム内の5本ストライプはスピード、ロゴはリスの素早い動き、エンブレム内のリスの尻尾に見立てた盾形は堅守とバランスを表現している[5]。 大宮は元々は堅守速攻のクラブではなく、ピム・ファーベークと三浦俊也が構築したトータルフットボールを主軸にしていたが、守備や堅守自体はその当時から重視していた。2005年からはJ1の強豪クラブと互角に戦うために堅守速攻を主軸にし、2013年度まで堅守速攻が大宮の伝統として確立していた(2008年度のみ攻撃的ポゼッションフットボール)。堅守速攻の中でも特に守備を徹底した監督はズデンコ・ベルデニックである[15][16]。 2017年以降は、シーズンごとにスタイルが変わりがちになっている。 1969年に大宮アルディージャの前身である電電関東サッカー部(本拠地は埼玉県浦和市)が設立される。1985年に民営化により日本電信電話公社がNTTとなったことに伴い、「NTT関東サッカー部」へと改名。1987-1992年に日本サッカーリーグ2部、1993年からはジャパンフットボールリーグに在籍した。 1997年に佐々木則夫が監督に就任後、紆余曲折を経てチームのプロ化を決定し、1998年に誘致のあった埼玉県大宮市に本拠地を移し、チーム名を「大宮アルディージャ」に改名。同年7月に佐々木が監督を退任し(普及強化部長に異動)、ピム・ファーベークが監督に就任し、トータルフットボールと組織力を重視した。同年12月にNTT東日本を中心としたNTTグループと関連企業18社の出資による運営会社である「エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社」が設立された[注 1]。1999年のJリーグ2部制導入に合わせ、旧JFLからのJリーグ新参加8クラブの1クラブとしてJリーグに加盟。
概要
スタイル
歴史
Jリーグ参入前詳細は「NTT関東サッカー部」を参照
1999年 - 2004年(J2)
1999年
ピム・ファーベーク体制2年目。序盤は首位争いをしていたが、5月に得点源・牽引役であったヨルン・ブーレが深夜に暴漢に襲われ、左眼失明の重傷を負って引退。その後に大宮は失速し、最終順位6位。
2000年
三浦俊也が監督に就任。浦和がJ2に降格し、リーグ戦初のさいたまダービーが開催された。
2001年
三浦体制2年目。第11節から12連勝、第8節から17戦無敗を記録し、前半戦は勝点50の首位だったが、後半はジョルジーニョとバルデスが重傷を負い、得点力が低下。新加入のバレーが活躍したが、チームは不調に陥り、最終順位5位。
2002年
ヘンク・デュットが監督に就任。年間を通じて4-8位の間を行き来する順位となり、1度も昇格圏内に入れずに最終順位6位。
2003年
菅野将晃が監督に就任。序盤は6戦無敗で一時2位に上がると、その後は昇格圏に入れず、10月に菅野が退任し、ゼネラルマネージャーの清雲栄純が監督に就任。最終順位6位。
2004年
三浦俊也が2001年度以来となる監督に就任。前半は一時8位であったが、第19節から6戦無敗で2位に上がると、第32節からは年度終了まで13連勝し、最終順位2位で初J1昇格を果たした。
2005年 - 2014年(J1)
2005年
クラブスローガンは「「Departure」→走り出す大宮→」。
三浦体制2年目。元ブラジル代表のクリスティアンや日本代表の藤本主税などを補強したが、シーズン中のクリスティアンの移籍や故障者続出によりチームは不調に陥り、第28節時点で16位に下がったが、レアンドロや若林学の活躍により第29節より4連勝し、最終順位13位。ナビスコ杯ベスト8、天皇杯ベスト4。
2006年
クラブスローガンは「OMIYA EXPRESS 加速するオレンジ魂」。
三浦体制3年目。各ポジションに選手を補強したが、外国人選手が機能せずに最終順位12位。
2007年
クラブスローガンは「シンカ ?進化、真価、深化」。
ロバート・ファーベーク(ピムの弟)が監督に就任。前半で16位となり、ロバートが退任し、強化育成部長の佐久間悟が監督に就任したが、チームは不調が続き、最終順位15位。
2008年
クラブスローガンは「シンカ NEXT?進化、真価、深化」。
三浦の監督退任時から監督就任を依頼していた樋口靖洋が監督に就任。攻撃的サッカーを志向し、第5節から5戦無敗であったが、その後に5試合未勝利となり低迷。その後に連勝したが、第24節からは6連敗を喫し、降格圏の17位に下がる。しかし終盤に再度5戦無敗となり、最終順位12位。
2009年
クラブスローガンは「橙想心 AGGRESSIVE SHIFT 2009」。
張外龍が監督に就任。開幕から5戦無敗であったが、怪我人が続出し、第6節からの8試合で4連敗と低迷し、苦境が続いた。最終順位13位。
2010年
クラブスローガンは「橙想心 より強く、より高く、より深く」。
張体制2年目。塚本泰史の右大腿骨骨肉腫が判明。7試合未勝で17位に下がり、張が退任。鈴木淳が監督に就任すると、チーム状態は上昇し、第15節から5戦無敗となった。10月2日の浦和戦にて観客数の水増しが発覚。クラブ側は当初全面否定したが、翌日にリーグ事務局による本格調査が入ると一転して事実を認め、その後の調査で2007年11月以降の主催58試合で各試合4000人以上、合計111737人の水増しが行われていたことが明らかになった[17]。