大安寺
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「大安寺」のその他の用法については「大安寺 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

大安寺
本堂
所在地奈良県奈良市大安寺2丁目18-1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度40分4.8秒 東経135度48分45.8秒 / 北緯34.668000度 東経135.812722度 / 34.668000; 135.812722座標: 北緯34度40分4.8秒 東経135度48分45.8秒 / 北緯34.668000度 東経135.812722度 / 34.668000; 135.812722
山号なし
宗派高野山真言宗
本尊十一面観音重要文化財
創建年伝・飛鳥時代
開基伝・舒明天皇
札所等大和十三仏霊場第13番
聖徳太子霊跡第23番
大和北部八十八ヶ所霊場第1・2番
南都七大寺
神仏霊場巡拝の道第17番(奈良第4番)
文化財木造馬頭観音立像、木造不空羂索観音立像、木造楊柳観音立像ほか(重要文化財)
大安寺旧境内附石橋瓦窯跡(国の史跡
公式サイト ⇒病気平癒・癌封じの祈祷やお守り 奈良県のお寺|大安寺 南都七大寺
法人番号3150005000283
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}
テンプレートを表示
南門

大安寺(だいあんじ)は、奈良県奈良市大安寺二丁目にある高野山真言宗寺院山号はなし。本尊十一面観音開基舒明天皇と伝える。南都七大寺の1つで、奈良時代から平安時代前半までは、東大寺興福寺と並ぶ大寺であった。現在は癌封じの寺として有名である。
概要

縁起によれば、聖徳太子の建てた「熊凝精舎」(くまごりしょうじゃ、「熊凝道場」とも)が官寺となり、その後に移転や改称を繰り返したとされる。平城京に移って大安寺を称した時の伽藍は東大寺、興福寺と並んで壮大であり、東西に2基の七重塔が立ち(七重塔を持つ南都七大寺は他には東大寺のみ)、「南大寺」の別名があった。この時代、東大寺大仏開眼の導師を務めたインド僧・菩提僊那をはじめとする歴史上著名な僧が在籍し、日本仏教史上重要な役割を果たしてきた。

平安時代以後は徐々に衰退し、寛仁元年(1017年)の火災で主要堂塔を焼失して以後は、かつての隆盛を回復することはなかった。現存する大安寺の堂宇はいずれも近世末から近代の再建であり、規模も著しく縮小している。奈良時代にさかのぼる遺品としては、8世紀末頃の制作と思われる木彫仏9体が残るのみである。

現代は封じなどにご利益(りやく)がある寺となっている。参拝者が、筒に入れて温めた日本酒を飲んで健康を祈る「笹酒祭り」は、奈良時代末期の光仁天皇の故事にちなむと伝承されている[1]。    
歴史
創建

当寺の歴史については、天平19年(747年)の『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』(だいあんじがらんえんぎ ならびに るきしざいちょう、以下『大安寺資財帳』)と正史『日本書紀』『続日本紀』の記述が根本史料となっている[2][注釈 1]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:50 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef