大多喜
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おおたきまち 
大多喜町
大多喜城


大多喜町旗大多喜町章
1958年1月15日に制定

日本
地方関東地方
都道府県千葉県
夷隅郡
市町村コード12441-9
法人番号5000020124419
面積129.87km2

総人口8,143人 [編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度62.7人/km2
隣接自治体市原市君津市勝浦市鴨川市いすみ市長生郡睦沢町長南町
町の木サクラ
キャッチフレーズ:城と渓谷の町
大多喜町役場
町長[編集]平林昇
所在地298-0292
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜93
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度17分07秒 東経140度14分44秒 / 北緯35.28517度 東経140.24542度 / 35.28517; 140.24542座標: 北緯35度17分07秒 東経140度14分44秒 / 北緯35.28517度 東経140.24542度 / 35.28517; 140.24542

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大多喜町観光本陣

大多喜町(おおたきまち)は、千葉県の南部に位置し、夷隅郡に属する

古くから城下町として栄え、大多喜城徳川四天王の1人、本多忠勝が城主であったことでも知られる。
地理
地勢

千葉県南部に位置し、県庁所在地である千葉市から約35キロメートルの距離である。東京都都心から60 - 70キロメートル圏内である。なお、東京都(特に東京国際空港(羽田空港)や神奈川県からは東京湾アクアライン若しくは東京湾フェリーを利用した場合が移動距離の短縮となる[1]

房総丘陵(丘陵地帯)の中に位置し、森林が面積の約70%を占める、太平洋側(外房)・南総上総国)の町。南西部は山勝ちで北東に向かうに従い標高は低くなっている。主な河川である夷隅川は北東に蛇行しながら流れ、養老川は西部を北に流れる。
市域

千葉県の町村で最も広大な面積を持つ。

東西約12キロメートル

南北約19キロメートル

地区

上瀑地区 - 横山、下大多喜、小土呂

大多喜地区 - 森宮、船子、紺屋、田丁、泉水、猿稲、久保、桜台、新丁、大多喜、柳原、上原、西部田、上原西部田柳原入会

総元地区 - 小谷松、八声、部田、大戸、堀之内、石神、久我原、三又、黒原

西畑地区 - 笛倉、小内、馬場内、原内、押沼、百鉾、宇筒原、平沢、川畑、弥喜用、湯倉、小苗、紙敷、松尾、庄司、中野、市川、板谷、堀切、三条、田代、弓木、伊保田

老川地区 - 小田代、葛藤、大田代、筒森、面白、小沢又、粟又、会所

気候

年間平均気温は15℃前後。内陸部に位置するため内陸性気候に近い。冬期は最低気温が氷点下に達する日もあり周辺沿岸部が雨の時も町内は雪の場合が多い。年間平均雨量は2200ミリメートル程度。

大多喜(1991年 - 2020年)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
降水量 mm (inch)114.2
(4.496)102.8
(4.047)205.4
(8.087)193.0
(7.598)190.5
(7.5)235.1
(9.256)178.7
(7.035)131.6
(5.181)280.0
(11.024)332.2
(13.079)155.8
(6.134)103.9
(4.091)2,223
(87.52)
平均降水日数 (?1.0 mm)7.27.611.911.511.012.210.67.312.512.69.77.2121.2
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[2]

主な河川

夷隅川

養老川

西畑川


平沢川

主な山岳

石尊山


御嶽山

野々塚

殿中山

伊藤大山

浅間山

高塚山

羽黒山

大塚山

法塔山

ダム

平沢ダム


荒木根ダム

歴史
合併前

大多喜地域は戦国時代から城下町として繁栄した。応仁の乱以後守護大名が台頭し、長南の武田氏、万木の土岐氏、小浜の槍田氏、安房里見氏がこの地方で衝突していた。小田喜根古屋城1544年天文13年)武田氏から里見氏の武将正木時茂が取って代わり、里見氏の支配を受けた。1590年天正18年)徳川四天王の1人本多忠勝が10万石を与えられ約11年間領知した。忠勝は里見氏に備えてを整え、城下町の整備、六斎市の開市を企てた。本多氏以後たびたび城主が替わり、1703年元禄16年)から松平氏が9代続いたが、大多喜地域の大部分が他藩領、旗本知行地として支配を受けた。明治維新により大多喜県木更津県千葉県と行政区画が変遷し1889年(明治22年)老川村西畑村総元村上瀑村、旧・大多喜町が誕生した。

1935年(昭和10年)5月、大多喜町で建設が進められていた宮田製作所の自転車工場が一部完成。フレームの生産等を始める。工場の動力は地域産の天然ガスが使用された[3]

大多喜地域は次第に衰退し財政力が豊かではなかった。そこで、町村規模の適正化、福祉の推進、地方自治の発展、行財政の強化のため旧5町村が町村合併促進法により合併し、現在の大多喜町が誕生した。
合併後

1954年(昭和29年)10月5日 - 旧・大多喜町、総元村、西畑村、上瀑村、老川村が合併し、現在の大多喜町が誕生。

1970年(昭和45年)7月1日 - 集中豪雨で大多喜116ミリメートルの雨を観測。夷隅川が久保地内で氾濫するなどして約200戸が床上浸水[4]。当時の総理大臣佐藤栄作が来町。

1975年(昭和50年)

9月10日 - 千葉県立総南博物館(大多喜城)開館

9月28日 - 第1回お城まつり


1978年(昭和53年)

8月3日 - クエルナバカ市と姉妹都市提携


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