大塚耕平
[Wikipedia|▼Menu]

日本政治家大塚 耕平おおつか こうへい
大塚耕平(2022年12月、国会にて)
生年月日 (1959-10-05) 1959年10月5日(64歳)
出生地 日本 愛知県名古屋市
出身校早稲田大学政治経済学部経済学科卒業
早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了
前職日本銀行
所属政党(民主党→)
民進党→)
旧国民民主党→)
国民民主党→)
無所属
称号博士(学術)
公式サイト参議院議員 大塚耕平 公式サイト
参議院議員
選挙区愛知県選挙区
当選回数4回
在任期間2001年7月23日 - 現職
その他の職歴
第2代 国民民主党政務調査会長
代表:玉木雄一郎
2021年12月21日[1] - 2024年4月30日
初代 国民民主党代表代行
代表:玉木雄一郎
2020年9月11日 - 2024年4月30日)
初代(旧)国民民主党代表(共同)
共同代表:玉木雄一郎
2018年5月7日 - 2018年9月4日
第4代 民進党代表
2017年10月31日 - 2018年5月7日)
テンプレートを表示

大塚 耕平(おおつか こうへい、1959年10月5日 - )は、日本政治家経済学者参議院議員(4期)。早稲田大学客員教授藤田医科大学客員教授

内閣府副大臣鳩山由紀夫内閣菅直人内閣)、厚生労働副大臣菅直人第2次改造内閣)、参議院参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、参議院国家基本政策委員長民主党政策調査会長代理、民主党参議院政審会長、民進党参議院政策審議会長、民進党代表(第4代)、旧国民民主党共同代表、同党代表代行・参議院議員会長国民民主党代表代行兼政務調査会長を歴任した。
来歴2009年

名古屋市生まれ[2](父親は一宮市木曽川町出身[3]、母親は新潟県燕市又新出身[4][5])。名古屋市立田代小学校名古屋市立城山中学校を経て[6][7]愛知県立旭丘高等学校に進学。高校時代はバレーボール部のキャプテンを務めた。卒業後、1年間の浪人を経て、早稲田大学政治経済学部経済学科に入学[8]

1983年3月、早稲田大学卒業。同年4月、日本銀行入行。日本銀行では、窓口指導・市場調節・金融機関指導を行っていた旧営業局(その後、金融市場局、金融機構局、決済機構局に改組)に長く在籍した[2]

在職中の2000年早大大学院社会科学研究科博士課程を修了し、博士号を取得[9]した(マクロ経済学公共政策論などを専門としている)。同年11月、知人を通じて、翌年の参議院議員選挙の候補者を探していた民主党愛知県連から勧誘を受ける。決断する前に勧誘を受けたことが新聞に載ってしまい、同年暮れに日本銀行を退職することとなる。大塚が選ばれたことについては、保守新党代表の熊谷弘が後ろで糸を引いていたとも言われている[10]。最後の役職は政策委員会室調査役であった。

2001年7月29日、第19回参議院議員通常選挙愛知県選挙区から民主党公認で出馬し、初当選。2007年、再選[2]

2009年9月16日、鳩山由紀夫内閣にて内閣府副大臣に就任[2]

2011年1月18日、菅直人第2次改造内閣における内閣改造人事で厚生労働副大臣医療介護年金福祉を担当)に就任[11][2]

2013年3月17日、中根康浩衆議院議員が前年の衆院選惨敗の責任をとって、民主党県連代表を辞任。同日、その後任として県連代表に就任[12]。同年7月の参院選で3選。

2016年10月18日、民進党次の内閣財務金融担当大臣に就任。

2017年10月27日、民進党代表の前原誠司が、同月の衆院選で党を分裂させる形で戦う原因をつくったことについて陳謝し、引責辞任を正式に表明[13]。前原の辞任に伴い10月31日に行われた代表選挙に立候補。無投票により第4代民進党代表に選出された[14]

2018年5月7日、国民民主党共同代表に就任[15]。9月4日実施の国民民主党代表選挙には出馬せず共同代表を退任し、同11日付で代表代行に就任[16]

2019年7月21日の参院選で4選[17]

2020年9月3日、愛知県庁で記者会見し、立憲民主党と国民民主党が解党して設立する合流新党(新「立憲民主党」)に参加しないと表明した[18]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:113 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef