大塚正士
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大塚 正士(おおつか まさひと、1916年10月24日 - 2000年4月17日)は、日本実業家大塚グループ総帥
来歴

徳島県鳴門市出身。中学校を出た後、父親が興した当時は個人商店形態の大塚製薬工業部に勤め、1947年に代表者となる。その後、大塚製薬工業部は大塚製薬工場として法人化し、社長、会長に就任する。医薬品の原料だけでなく医薬品そのものの製造や食品事業にも進出し、17人の零細企業をグループ従業員1万5900人、売上高6500億円(1991年当時)に育て上げた[1]

1970年アース製薬を買収した。1973年にアース製薬から発売された「ごきぶりホイホイ」の名付け親である。1974年藍綬褒章1986年勲三等旭日中綬章を受賞。

1998年、地元である徳島・鳴門に貢献したいという想いから、大塚グループ設立75周年記念事業として、世界唯一の陶板名画美術館「大塚国際美術館」を開館。初代館長となる。

後を継いだ息子の大塚明彦(当時、大塚製薬社長)が新薬開発をめぐる贈収賄事件で有罪となったことをきっかけに、同族経営への批判が出たことから、経営の一線から退いた。

2000年4月17日、83歳で死去。同年5月、鳴門市名誉市民に決まる[2][3]
人物

著書に『わが実証人生』(上下巻2冊セット、総計2,070ページ、定価10万円、初版6,000部完売し5,000部増刷
[1])、『金儲けの秘訣』(定価5万円)がある。

細川たかしの「人生希望と辛抱だ」(大塚グループの大鵬薬品が製造・発売する胃腸内服液『ソルマック』のCMソング)の作詞も手がける。

親族

父は大塚武三郎。弟に大塚芳満、大塚公、大塚正富。子女は長男の大塚明彦大塚ホールディングス元会長)と次男の大塚雄二郎(大塚化学元社長)と長女の大塚真紀と次女の大塚薫、孫は大塚一郎大塚ホールディングス会長)、大塚太郎大塚倉庫会長)と大塚雄三(元ヴォーカリスト、ともに雄二郎の子)。
脚注[脚注の使い方]^ a b 大塚グループ総帥・大塚正士が、定価10万円の大著で綴った「実証人生」 ダイヤモンド・オンライン 2019年11月27日
^リンク切れ 徳島市
^リンク切れ 毎日新聞

関連項目

徳島県出身の人物一覧

徳島ヴォルティスJリーグ加盟に死ぬまで反対していた。実現したのは大塚の死後である。


先代
大塚製薬工場から分社化)大塚製薬社長
初代:1964年 - 1976年次代
大塚明彦










大塚グループ
持株会社

大塚ホールディングス
グループ企業

大塚製薬 - 大塚製薬工場 - 大塚倉庫 - 大鵬薬品工業 - 大塚化学 - アース製薬 - 大塚食品 - 大塚電子 - 大塚包装工業 - 大塚テクノ - ニチバン - バスクリン - 白元アース - アース・ペット - 岡山大鵬薬品 - 大塚ターフテック - 東山フイルム - 大塚国際美術館 - 大塚ヴェガホール - 徳島ヴォルティス大塚製薬サッカー部
かつてのグループ企業

大塚ベバレジ - OATアグリオ - ウィドウ・スタイル
主な消費者向け商品

オロナインH軟膏 - オロナミンCドリンク - ポカリスエット - カロリーメイト - エネルゲン - アミノバリュー - SOYJOY - ボディメンテ - ボンカレー - シャーベ - シンビーノ - クリスタルガイザー - MATCH - ソルマック - ごきぶりホイホイ - アースノーマット - アースレッド - OS-1
関連人物

大塚武三郎 - 大塚正士 - 大塚明彦 - 大塚一郎 - 大塚芳満 - 大塚正富 - 大塚太郎 - 小林幸雄 - 樋口達夫 - 岩本太郎 - 小林将之 - 井上眞
資産管理会社

大塚エステート - 大塚アセット
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