大塚 晶文中日ドラゴンズ 投手コーチ #76
2023年6月6日 埼玉県営大宮公園野球場
基本情報
国籍 日本
出身地千葉県千葉市花見川区
生年月日 (1972-01-13) 1972年1月13日(52歳)
身長
体重182 cm
88 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1996年 ドラフト2位(逆指名)
初出場NPB / 1997年5月13日
MLB / 2004年4月6日
最終出場NPB / 2003年
MLB / 2007年7月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
横芝敬愛高等学校
東海大学
日本通運
近鉄バファローズ
大阪近鉄バファローズ (1997 - 2002)
中日ドラゴンズ (2003)
サンディエゴ・パドレス (2004 - 2005)
テキサス・レンジャーズ (2006 - 2007)
信濃グランセローズ (2013 - 2014)
指導歴
サムライオールジャパン
信濃グランセローズ (2014)
中日ドラゴンズ (2015 - 2017)
エルパソ・チワワズ (2017 - 2021)
中日ドラゴンズ (2022 - )
国際大会
代表チーム 日本
WBC2006年
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獲得メダル
日本
ワールド・ベースボール・クラシック
金2006
大塚 晶文(おおつか あきのり、1972年1月13日 - )は、千葉県千葉市花見川区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。
2003年から2007年までの登録名は大塚 晶則(読み同じ)。 小学3年生の時に地元こてはし台の少年野球チームに入り野球を始める[1]。 高校は横芝敬愛高等学校に進学するが、1年生の時に母が病気で他界[1]。兄と姉、後見人の支えもあり、野球を続ける[1]。高校時代、4回戦で八千代東高校と対戦し、3-2で八千代東を破った。この試合後、八千代東のエースだった恩田寿之(のち、新日鐵君津・かずさマジック)から千羽鶴を手渡された。しかし5回戦で八千代松陰高校に敗れ、甲子園出場は逃した。大塚は後年、「これが僕の高校時代の一番の思い出です」と語っている(当時の新聞記事
経歴
プロ入り前
高校卒業後は首都大学野球連盟所属の強豪校・東海大学に入学。4年春にはリーグ最優秀投手に輝く。大学卒業後は社会人野球・日本通運に進み(同期には関口伊織がいた)、2年目から都市対抗野球大会に補強選手で出場する。
第67回都市対抗野球大会では本田技研の補強としてエース・入来祐作との2本柱で優勝に貢献し、胴上げ投手となる[2]。
1996年度ドラフト会議にて近鉄バファローズから2位指名を受け、入団。背番号は、野茂英雄のメジャー移籍後、空き番号となっていた11を自ら希望し、継承した。 1997年は久保康生の指導を受け、ルーキーイヤーながら52試合に登板し、リリーフばかりの登板で100奪三振を超えるなど主にセットアップとして活躍した。 1998年は赤堀元之に代わるクローザーとしてパ・リーグ新記録の35セーブを挙げ、最優秀救援投手に輝く。
近鉄時代