大塚周夫
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おおつか ちかお
大塚 周夫
1962年
プロフィール
本名大塚 周夫[1]
愛称周さん[2]、周ちゃん[3]、周夫さん[4]
性別男性
出身地 日本東京都世田谷区[5][6]
死没地 日本東京都新宿区[7][8]
生年月日 (1929-07-05) 1929年7月5日
没年月日 (2015-01-15) 2015年1月15日(85歳没)
血液型B型[9]
職業声優俳優ナレーター
事務所青二プロダクション(最終所属)
配偶者あり[3]
著名な家族大塚明夫(長男)[4][10]
公式サイト大塚周夫|青二プロダクション
公称サイズ(時期不明)[11]
身長 / 体重167[9] cm / 73 kg

俳優活動
活動期間1948年 - 2015年
ジャンルテレビドラマ映画舞台
デビュー作

舞台(作品不明)、『アナタハン島の眞相はこれだ!!』(映画のデビュー作)
声優活動
活動期間1960年代 - 2015年
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
デビュー作ヒラー総統
鉄腕アトム』アニメのデビュー作[12]
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

大塚 周夫(おおつか ちかお、1929年昭和4年〉7月5日[5][10][13] - 2015年平成27年〉1月15日[14])は、日本声優俳優ナレーター
生涯

劇団東芸、劇団俳優小劇場、芸能座などで活動し[15]、最後は青二プロダクションに所属していた[15]東京アニメアワード2014「アニメ功労部門」を声優として受賞。
生い立ち

東京都[16]世田谷区出身[5][6]。4人兄弟であり、父親と兄が彫刻家という芸術一家であった[5][17]。周夫が生まれつき体が弱いことを心配した母親と、戦前で情勢が悪化し未成年が繁華街を歩いていると問題になる中、放課後に新宿で遊ぶ口実を作りたいと考えた当時新宿高校に通っていた長兄の2人からダンスを習うように言われ、4歳から新宿区内のダンス教室に通っていた[3][4][5][6][18]。小学1年生のころからダンサーを始める[4]
キャリア

日本学園中学校・高等学校卒業[16]。当初は上野の美術学校に通うことになっていたが、新宿第一劇場で芝居の実演を見て面白そうだと感じ、役者を志すようになる[5]。戦争が始まると両親は九州に移り兄は出征したため、周夫は親類に預けられた[5]。戦争で長兄を亡くし、中学生の時にダンスも中断せざるを得なかった[5][17]。その間は工場で飛行機の部品作りの鋳造工をしていた[17]。戦後中学卒業後も何をしていいかわからず、そんな時に水の江瀧子が劇団たんぽぽをしていたため、見に行っていた[17]。板の上で気持ちよさそうに歌ったり踊ったりしており、「この世界いいなぁ、行こうかなぁ」と思った[17]。4歳から11歳まで8年間ダンスをしていたことから、バッチリ上手いわけで、普通のジャズダンス、クラシックもしており、「じゃあダンサーになろう」ということで、昔のダンスの先生のツテを辿ってダンスの仕事を探していたわけであったという[17]。その後、ダンスを再開し、進駐軍が来たため多くのダンサーが必要となり、ダンサーのオーディションを受けて合格し、キャンプや赤坂などのグランドキャバレーで踊っていた[3][6]。学校卒業後、タップダンスジャズダンスなどどんなダンスをするにしてもクラシックバレエが基本だということで、バレエを始めた[18]。当時習っていたタップダンスは珍しかったことから友人4人と組み、バンバン踊り稼ぎ、ワンステージ4千円くらい稼いでいた[17]。当時は相当の金額で100円で寿司が食えれたという[17]。クラシックバレエの勉強では、帝国劇場に立ったこともあった[18]社交ダンスからタップダンスまで会得していたが[6]、練習のやり過ぎで両脚が膝関節炎になり、医者から「結核菌が入ると一生曲がらなくなるからダンスはやめた方が良い」と助言されたため俳優への転向を図り、たまたま劇団員を募集していた劇団東芸に入団する[5][3][17][18][19]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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