この項目では、大阪市北区の神社について説明しています。駅名については「大阪天満宮駅」をご覧ください。
大阪天満宮
大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)は、大阪市北区天神橋にある神社。別名に天満天神・浪華菅廟・中島天満宮がある。大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれている。旧社格は府社で、現在は神社本庁の別表神社。
毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。 白雉元年(650年)、孝徳天皇が難波宮を造営した際、その西北に守護神として大将軍社を創建したのが当社のそもそもの始まりである。 延喜元年(901年)に菅原道真が藤原時平によって九州大宰府へ配転(左遷)させられた際、この地にあった大将軍社に参詣し、旅の安全を祈願している。 延喜3年(903年)に菅原道真が没した後に天神信仰が広まり始めるが、天暦3年(949年)に道真ゆかりの大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。そして、それを聞いた村上天皇の勅命によってこの地に天満宮が建立されることとなった。以後、当社は大将軍社を摂社として新たに天満宮が中心の社となる。 当社は度々火災に見舞われている。なかでも享保9年(1724年)の享保の大火(妙知焼け)では全焼の憂き目にあっている。後に復興したものの、今度は天保8年(1837年)の大塩平八郎の乱による大火でまたも全焼してしまった。しかし、天保14年(1843年)には現在の社殿が再建されて復興を果たしている。 1945年(昭和20年)6月1日の第2回大阪大空襲の際には幸運にも被害を免れている。戦後に神社本庁の別表神社に加列されている。
歴史
祭神
主祭神 - 菅原道真。火雷天神と同一視。天神信仰の項を参照。
境内
本殿 - 天保14年(1843年)再建。
拝殿 - 天保14年(1843年)再建。
東登竜門・西登竜門 - 本殿の左右にある唐門。
神楽殿(国登録有形文化財) - 1904年(明治37年)再建。
参集殿(国登録有形文化財) - 1911年(明治44年)再建。
梅花殿(国登録有形文化財) - 1928年(昭和3年)再建。
大将軍社 - 祭神:八衢比古神(やちまたひこのかみ)、八衢比売神(やちまたひめのかみ)、意冨加牟豆美神(おおかむづみのかみ)、久那斗神(くなどのかみ)。難波長柄豊崎宮の陰陽道による西北の鎮めとして建立。
神明社 - 祭神:天照皇大神、豊受皇大神
蛭子遷殿 - 祭神:蛭子大神
十二社 - 祭神:吉備聖霊、早良親王、藤夫人、伊予親王、火雷神、火産霊神、埴山比売神、天吉葛神