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だいち あきたろう
大地 丙太郎
生年月日 (1956-01-13) 1956年1月13日(68歳)
出生地 日本 群馬県高崎市
職業アニメーション監督、演出家、撮影監督
活動期間1978年 -
主な作品
『ナースエンジェルりりかSOS』
『おじゃる丸』
『ギャグマンガ日和』
『浦安鉄筋家族』
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大地 丙太郎(だいち あきたろう、1956年1月13日 - )は、日本のアニメーション監督、演出家、撮影監督である。
群馬県高崎市出身[1]。別名義に小池 彰[2](こいけ あきら)。 1976年育英工業高専グラフィック工学科、1978年東京写真大学短期大学部写真応用科卒業後、舞台写真家志望だったが、同年に清水達正の東京アニメーションフィルム(アニメーション撮影会社)に入社、初仕事は『未来少年コナン』の撮影で[3]、アニメの撮影の仕事を5年ほど続けるが、一時転職してビデオ制作会社で実写のカラオケビデオ等を撮影していた時期もあった。 1991年、夢がないと絶望して勤め先を退社、ゲーム制作会社に勤めるが半年で元の会社に出戻る[3]。アニメ業界に復帰してからは同じくアニメーション監督のやすみ哲夫に師事。制作進行を経て、演出に進出。演出を担当することに妻は本当は反対していたが「やるなら3年は頑張ってみなさい」と言われ始めると面白かった[4]。1994年の『赤ずきんチャチャ』演出において、佐藤竜雄・桜井弘明と共に注目を浴びる。1995年の『ナースエンジェルりりかSOS』で監督デビューを果たした。最初は監督は自分には合わないと考えたが演出より面白いと感じる[4]。1998年より放映の『おじゃる丸』で監督をつとめ代表作となる。 2015年にはかつてアニメ版の監督も務めた『こどものおもちゃ』の舞台版の脚本・演出も務めるなど、アニメ以外にも活動の場を広げている[5]。 ハイテンションなコメディを得意とし『赤ずきんチャチャ』以降どんなにシリアスなストーリーでも、ほとんどでギャグ・日常描写をカット毎に入れ替える様に差し込む方針を貫いている。その際にはセオリーである「段階を踏む」展開や「間合いを取る」様なシチュエーションを省略し、その代わりにワイプ・字幕で緩急をつけて、内容を詰め込む様に構築していく[6]。 「間合いを取る」演出を嫌い、キャラクターの台詞も絵コンテの段階で大量に増やしている。その結果、AR台本が普通の作品の2倍の厚さになる。周囲からは「キャラクターが話さないカットがありません」とよく言われているが、大地は「じっくり見せて結局何がやりたいんだ。そういう緊張感の伴った感情的なシーンは数話に1話でいい」と話している[6]。 一方で『今、そこにいる僕』、シリアスな少女コミックを原作とした『僕等がいた』などギャグがほとんど皆無の作品も手掛けている。自身の監督作において実写の映像や過去の本編の映像などを僅かに(数秒程度)挟み込んだり新規のアニメーションと合わせて別窓で流す演出を多くとる。 山本はるきちとの仕事が多く見られる。 自分が関わった作品にカメオ出演することが多い。 ギャグテイストが主になるアニメにおいては、元になったキャラクターデザインからは考えられない、ともすれば作画崩壊とも受け取れるデフォルメを起こし、それを滑らかに動かす演出がよくみられる。これは大地が「小2に影響を受けた」と公言している赤塚不二夫の手法を模したものである。子供時代から好きであった近衛十四郎の出演映画作品の影響を深く受けており、『風まかせ月影蘭』は、近衛十四郎が主演したTV時代劇『素浪人 月影兵庫』『素浪人 花山大吉』のリスペクト作品であり、『十兵衛ちゃん』などの異色の時代劇系作品を制作している。『十兵衛ちゃん2 -シベリア柳生の逆襲-』においては、青年時代の柳生十兵衛役に、近衛の息子である目黒祐樹を声優として出演させている。他にも『妖精姫レーン』、『こどものおもちゃ』、『レジェンズ 甦る竜王伝説』ではサブタイトルの形にその名残がある。 監督にあたり声優にこだわりを見せており、大地が見出した声優としては小西寛子、安原麗子、名塚佳織、齋藤彩夏、ささきのぞみ、三森すずこなどがいる。うえだゆうじ、竹本英史、岡村明美、神谷明などは作品を超えて、常連で出演していることが多い。その中の小西寛子からはTwitterで過去に告発を受けている。 『赤ずきんチャチャ』『はれときどきぶた』等には絵コンテ及び演出担当で参加している。 アニメーション神戸・デジタルクリエーターズアワード審査委員長を務めている。 2002年9月、自身がパーソナリティを務めるラジオ大阪系ラジオ番組『大地ラヂオ』にアニメ監督の佐藤順一をゲストで迎えた際「(佐藤が監督をした)『ストレンジドーン』のアフレコ現場を訪問して、佐藤監督が音響監督も兼任しているのを見て自身の作品『フルーツバスケット』では音響監督にも挑戦したがすぐに挫折した。「もう二度とやらない。」と語っていたが、『迷い猫オーバーラン!』の第4話で再び音響監督を務めている。 江口寿史・田村信とギャグ集団「E.T.T」を結成して、トークイベントなどで活動している。2005年8月には舞台劇『風まかせ けやき十四(じゅうよつ)』を初めて作・演出した。
来歴
作風
エピソード
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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