『大地の歌』(だいちのうた、英: The Song of the Earth、独: Das Lied von der Erde、仏: La Chant de la Terre)は、オーストリアの作曲家グスタフ・マーラーが作曲した交響曲『大地の歌』に振付を行ったバレエ作品である。20世紀後半以降、これまでにアントニー・チューダー、ケネス・マクミラン、ハインツ・シュペルリ、ジョン・ノイマイヤーなど、著名な振付家が振付を行っている[1]。 大地の歌 バレエ・シアター(後のアメリカン・バレエ・シアター)の振付家であったアントニー・チューダーは、マーラーの『大地の歌』に合わせたバレエ作品の制作に取りかかった。『大地の歌』は人間という存在のはかなさを表わした往古の中国詩に基づいて書かれた6楽章からなり、チューダーは振付の可能性に挑むものとして長らく興味を寄せていた。チューダーは、「季節のように人間の経験は繰り返し、突然始まるものでも終わるものでもない」と説明している[2]。作品は『Shadow of the Wind』と題して1948年4月14日にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で初演された。美術・衣装・照明はジョー・ミールジナーであった[3]。ダンサーは、第1楽章にイーゴリ・ユースケヴィッチ、ヒュー・ラング、ディミトリ・ロマノフ、第2楽章にアリシア・アロンソ、ジョン・クリザ、メアリー・バー、第3楽章にルース・アン・ケサンとクランドル・ディール、第4楽章にダイアナ・アダムズとザカリー・ソロフ、第5楽章にヒュー・ラング、第6楽章にナナ・ゴールドナー、ヒュー・ラング、ディミトリ・ロマノフを宛てた[4][5]。中国風を擬した流れるような精巧な衣装と、東洋的な姿勢を模したダンサーを写したカール・ヴァン・ヴェクテンによる写真が残されている[6]。 しかしこの作品は成功せず、マスコミからも肯定的な反応はほとんどなかった。ジョン・マーティンは『ニューヨーク・タイムズ』で「ドイツ的厭世観といにしえの中国の古典的快楽主義の組み合わせに、チューダーはことさらに伝統的なバレエの格式張ったフォーメーションを付け加えた」[7]と酷評している。公演は3回しか行われず、最後の公演は客席の24%しか埋まらなかった[5]。 大地の歌 1959年、ケネス・マクミランは、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスの首脳陣に、マーラーの『大地の歌』をロイヤル・バレエ団の新作に用いることを打診した。しかし、このような大作の音楽作品はバレエ音楽向きではないとして拒否されてしまった。これに対して、マクミランは1965年に友人でシュトゥットガルト・バレエ団の芸術監督であったジョン・クランコに構想を打ち明け、クランコはこれをすぐさま受け入れた[8]。マクミランはその脚本を「男と女がいる。死が男を連れ去るが、死は男とともに女のもとに戻る。そして最後には死は再生を約束することに気付く」という言葉で要約している。マルシア・ハイデが「女」(Die Frau)、レイ・バーラが「男」(Der Mann)、エゴン・マドセンが「永遠の者」(Der Ewig、英語では The Eternal One)を演じ、1965年11月7日にシュトゥットガルトのヴュルテンベルク州立劇場で初演された。歌唱はメゾソプラノのマルガレーテ・ベンスとテノールのジェームス・ハーパーが担当した。マクミランの振付では、「女」は「男」の動きから隔絶された孤独の姿であり、「男」は幸福にも自身の死に気づいていない。「永遠の者」は悪の姿ではなく、舞台上のすべての者にとって常に共にある穏やかな存在として描かれている。 これはただちに成功を収め、ドイツの観衆や批評家から広く賞賛を集めた。
チューダー版
Song of the Earth
振付アントニー・チューダー
美術ジョー・ミールジナー
初演1948年4月14日
メトロポリタン歌劇場
初演バレエ団アメリカン・バレエ・シアター
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マクミラン版
Das Lied von der Erde
振付ケネス・マクミラン
美術ニコラス・ジョージアディス
初演1965年11月7日
ヴュルテンベルク州立劇場
初演バレエ団シュトゥットガルト・バレエ団
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