大喪の礼
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Ceremony of the Imperial Funeral

葬場殿に向かう昭和天皇の霊柩を乗せた葱華輦
(1989年〈平成元年〉2月24日撮影)
種類国事行為
天皇の国葬)

葬列(皇居正門?葬場総門)

大喪の礼御式

葬列(葬場殿?陵所総門)

頻度天皇又は上皇の崩御に際して挙行
会場葬場殿(大喪ごとに造営)
会場所在地東京都新宿区新宿御苑
開催国 日本
前回〈第124代天皇・昭和天皇
1989年平成元年)2月24日
参加者

天皇

皇族

三権の長

招待国国家元首首脳

国内参列者

主催日本国政府
ウェブサイト
www.kunaicho.go.jp

大喪の礼(たいそうのれい、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:大喪ノ禮)は、日本天皇又は上皇国葬であり、国事行為たる皇室儀礼

日本国憲法下において「天皇(又は上皇)の葬儀」は、皇室典範第25条の規定に基づき国の儀式として執り行われる「大喪の礼」と、皇室の儀式として執り行われる「大喪儀」とに区別される。両者を合わせて「御大喪(ごたいそう)」ともいう。

日本では「大喪(たいそう)」だけで「天皇の崩御と斂葬」を指す(対義語は、天皇の即位を指す「大典、大礼」)。
法規
日本国憲法第7条
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。10.儀式を行ふこと。
皇室典範第25条
天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う。
天皇の退位等に関する皇室典範特例法第3条
3 上皇の身分に関する事項の登録、喪儀及び陵墓については、天皇の例による。

日本国憲法20条3項政教分離原則を定めることから、国家の宗教的中立性を保つため、国の儀式として行われる「大喪の礼」は、神道仏教含む特定の宗教による儀式とされない(無宗教)。

皇室の私的な儀式とされた「大喪儀」は、明治天皇以降は皇室祭祀神道儀礼に則って執り行われている。歴史的に皇室の葬儀は、飛鳥時代奈良時代 - 江戸時代まで仏教寺院にての仏式の葬儀が行われていたが、孝明天皇の三年祭の際に神式が復古され神道式で執り行われるようになった。

日本国憲法下において「政教分離原則」に基づく区別は、1989年平成元年)2月24日に行われた昭和天皇の葬儀の時に定められ、皇居から葬場が設営された新宿御苑までの葬列、葬場における儀式の一部、新宿御苑から墓所が設置される武蔵陵墓地までの葬列が「大喪の礼」とされた(平成元年内閣告示第4号『昭和天皇の大喪の礼の細目に関する件』竹下改造内閣)。同時に皇室の私的な儀式として「大喪儀」を行うという形式がとられた。
旧皇室典範下
明治天皇

1912年明治45年)7月30日崩御した明治天皇(第122代天皇)の大喪儀は、同年(大正元年)9月13日に行われた。葬儀は大日本帝國陸軍練兵場(現在の明治神宮外苑)にて執り行われ、翌9月14日伏見桃山陵に埋葬された。


嘉仁謹󠄀ミテ
皇考ノ靈前󠄁ニ白ス
皇考ノ登遐シ給ヒシヨリ夙夜夢寢?容ヲ?ル能ハス櫬宮ニ殯殿ニ奉饌拜參シテ空󠄁シク靈前󠄁ニ感泣スルコト早ヤ已ニ四十餘日今ヤ伏見桃山ニ斂葬セムトシ轜車ヲ送󠄁リテ此ニ來レリ顧󠄁フニ曩ニ
皇考ノ病革ルヤ上下憂惧シテ天地ニ祈󠄀ルアリ茲ニ其ノ葬儀ヲ行フヤ朝󠄁野悲傷シテ已マス是レ皆ナ國民忠忱ノ發露スル所󠄁ニシテ?チ
皇考コ澤ノ感孚スル所󠄁ナリ此ヲ思ヒ彼ヲ念ヒ痛悼ノ情󠄁倍マス切ナリ嗚呼哀イ哉
? 1912年(大正元年)9月13日、大葬儀における大正天皇の御誄(おんるい)[1]
主な国の特派使節
諸外国の皇族・特派使節の一覧は、1912年(大正元年)9月14日付『官報号外[1]に掲載されている。国旗および役職名は1912年当時のもので、氏名・役職名は『官報』の記載に準じる。

ドイツ帝国
ハインリヒ親王 イギリス
アーサー・オブ・コンノート親王 スペイン王国
ドン・アルフォンソ・デ・オルレアン・イ・ボルボン親王 アメリカ合衆国
特派大使ノックス(英語版)
フランス
特派大使ルボン ロシア帝国
特派大使ニコラス・マレヴスキー・マレヴィッチ(ロシア語版) イタリア王国
特派大使侯爵グイッチョリ(イタリア語版) オーストリア=ハンガリー帝国
特派大使男爵ラヂスラス・ミュルレル・ド・スツェントギオルギー(英語版)
 スウェーデン
特派使節グスタフ・オスカル・ワルレンベルク(スウェーデン語版) メキシコ
特派使節ドン・ラモン・ゼー・バチエコ オランダ
特派使節ジャン・ヘルマン・ファン・ロイエン スイス
特派使節フェルヂナンド・サリス
シャム
特派使節プラチャムノン・ヂターカー ベルギー
特派使節伯爵ジオルジュ・ドラ・ファイユ・ド・ルヴェルゲム(オランダ語版) チリ
特派使節アルフレッド・イララサウアル・サニヤルツ デンマーク
特派使節伯爵ペー・アーレフェルト・ラウルフィッグ
 ノルウェー
特派使節ベー・アンケル アルゼンチン
特派使節フランシスコ・オルチス ブラジル
特派使節グスタヴオ・デ・ヴィアンナ・ケルシュ ポルトガル
特派使節ヘンリケ・オーコンノル・マルチンス

この他、イギリスの中国艦隊から、海軍儀仗兵500名が派遣された。

明治天皇の大喪の礼(伏見桃山御陵)

大正天皇

1926年(大正15年)12月25日に崩御した大正天皇(第123代天皇)の大喪儀は、翌1927年昭和2年)2月7日から翌2月8日にかけて行われた。大喪儀は2月7日夜に天皇の霊柩を乗せた牛車を中心として組まれた葬列が、宮城(皇居)正門を出発することに始まった。宮中の伝統に従って夜間に執り行われたため、葬列はたいまつやかがり火等が照らす中を進行した。

葬儀は新宿御苑にて執り行われ、霊柩は新宿御苑仮停車場 - 東浅川仮停車場に大喪列車を運転して、鉄道で運ばれた。


裕仁敬ミテ
皇考ノ神󠄀靈ニ白ス 恭シク惟ルニ
皇考位ニ在シマスコト十有五年深仁厚澤人心ヲ感孚シタマヘリ一朝󠄁不豫久キニ彌リテ?エタマハス其ノ大漸ヲ傳フルニ當リテハ遠󠄁近󠄁爭ヒテ神󠄀祇ニ?リ其ノ大行ヲ聞クニ及󠄁ヒテハ億兆考妣ヲ喪フカ如シ嗟予小子正ニ諒闇ニ在リ梓宮ヲ拜シテ音󠄁容ヲ想ヒ殯宮ニ候シテ涕?ヲ灑ク茲ニ大喪ノ儀ヲ行ヒ哭ヒテ靈柩ヲ送󠄁リマツラントス今ニ感シ昔ヲ懷ヒ哀慕何ソ已マン嗚呼哀イ哉
? 1927年(昭和2年)2月7日、大葬儀における昭和天皇の御誄(おんるい)[2]

大喪儀が行われた葬場殿。

轜車(大正天皇の霊柩車になる牛車)。

現行皇室典範下
昭和天皇

1989年(昭和64年)1月7日崩御した昭和天皇の大喪の礼は、同年(平成元年)2月24日内閣の主催(大喪の礼委員会委員長:竹下登内閣総理大臣竹下改造内閣〉)により行われた。

「大喪の礼」は、当日午前9時35分に昭和天皇の霊柩を乗せた轜車(じしゃ。霊柩車)を中心として組まれた葬列(車30台、サイドカー30台の車列、全長約800m)が、宮内庁楽部による雅楽『宗明楽』と陸上自衛隊第1特科連隊による21発の弔砲に送られて、雨の降る皇居正門を出発することに始まった。出発前には、皇室の儀式「大喪儀」である「斂葬の儀」の一部である「轜車発引の儀」(じしゃはついんのぎ)が執り行われ、出発をもって国家儀式である「大喪の礼」が開式された。

葬列は葬送曲『哀の極』が奏楽される中、桜田門を通り、沿道に集まった約20万人の人々の間を進み国会議事堂正門前、憲政記念館前、三宅坂赤坂見附、青山一丁目、外苑前、青山三丁目を経て、新宿御苑の葬場総門まで到着した(この途中、青山通りで若年の過激派の男2人が「天皇制反対」を唱えて車列の中に突入したが、即刻警備員に補導されている)。到着後、昭和天皇の霊柩は轜車から葱華輦(そうかれん。天皇が用いる屋上にネギ坊主(葱華)形の吉祥飾りを着けた輿)に遷され、鈍色の衣冠単という古式の装束を着けた皇宮護衛官が「輿丁」としてこれを担ぐ徒歩列が組まれた。徒歩列は雅楽が奏される中、白木造りの葬場殿に入り、霊輦(霊柩が納められた葱華輦)が安置された。

ここで、幔門(門に見立てられた黒一色の幔幕)が閉じられて鳥居などが設置され、国家儀式である「大喪の礼」から皇室儀式である「大喪儀」が執り行われ、「斂葬の儀」(埋葬当日の儀式)のうち「葬場殿の儀」が執り行われることとなった。「葬場殿の儀」では、奠饌幣(幣帛を奉じる神道儀礼)や、天皇の拝礼と「御誄」(おんるい、弔辞)の奏上、皇后を始めとする皇族や親族の拝礼が厳かに営まれた。明仁謹んで御父昭和天皇の御霊に申し上げます。崩御あそばされてより、哀痛は尽きることなく、温容はまのあたりに在ってひとときも忘れることができません。櫬殿(しんでん)に、また殯宮(ひんきゅう)におまつり申し上げ、霊前にぬかずいて涙すること四十余日、無常の時は流れて、はや斂葬の日を迎え、轜車にしたがって、今ここにまいりました。顧みれば、さきに御病あつくなられるや、御平癒を祈るあまたの人々の真心が国の内外から寄せられました。今また葬儀にあたり、国内各界の代表はもとより、世界各国、国際機関を代表する人々が集い、おわかれのかなしみを共にいたしております。


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