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大和軍
会社名不明(解散時)
創設1937年
解散1943年
所属リーグ
日本野球連盟
歴代チーム名
後楽園イーグルス(1937年春 - 同年秋)
イーグルス(1938年春 - 1940年10月5日)
黒鷲軍(1940年10月6日 - 1942年9月11日)
大和軍(1942年9月12日 - 1943年)
本拠地
後楽園球場(東京都小石川区[注釈 1])(解散時)
収容人員38,000人(後楽園球場)
永久欠番
なし
獲得タイトル
成績(タイトル以外)
球団組織
オーナー不明(解散時)
運営母体大和工作所(解散時)
監督苅田久徳(解散時)
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大和軍(やまとぐん、Yamato Baseball Club)は、1937年春から1943年まで7年間活動した日本のプロ野球球団。
なお、結成時から4シーズンは名称を「イーグルス」としていたが、当球団の解散から61年後の2004年に創設されたパシフィック・リーグの東北楽天ゴールデンイーグルスとは一切無関係である。 1937年1月18日、建設中の後楽園球場(同年9月11日竣工)に先立ち、同球場直属の職業野球部として押川清や河野安通志らにより後楽園イーグルス(こうらくえんイーグルス、Korakuen Eagles、企業名:後楽園野球倶楽部)を結成した。 フランチャイズ構想のもとに球場が球団を経営する形態をとったが、経営不振から両者の意見に相違があり1937年10月に経営関係を解消。大日本麦酒(アサヒグループホールディングスやサッポロホールディングスの前身)を率いた政界の長老・高橋龍太郎(戦後は「高橋ユニオンズ」という球団を経営していた。)がスポンサーとなり翌1938年春から球団名をイーグルス (Eagles) に改称した。 1940年9月15日の理事会で球団名を日本語に統一することが決定され、10月6日にイーグルスから黒鷲軍(くろわしぐん、Kurowashi Baseball Club)に改称したが赤字経営は変わらず、1942年のシーズン途中に鉄工所の大和工作所
球団の歴史
1945年に第二次世界大戦が終わると、河野は新球団の東京カッブスを結成した。同球団は大和軍の選手が中心であり、実質的に後継と言って良い球団であった。河野は日本野球連盟会長の鈴木龍二に加盟を申請。鈴木は東京巨人軍代表の市岡忠男に打診した。