この項目では、宮城県にある町について説明しています。その他の用法については「大和町 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
たいわちょう
大和町旗
1975年8月1日制定[1]大和町章
1975年8月1日制定
国 日本
地方東北地方
都道府県宮城県
郡黒川郡
市町村コード04421-1
法人番号6000020044211
面積225.49km2
総人口28,438人 [編集]
(推計人口、2024年5月1日)
人口密度126人/km2
隣接自治体仙台市、富谷市、黒川郡大郷町、大衡村、宮城郡利府町、加美郡色麻町
町の木もみじ
町の花ツツジ
大和町役場
町長[編集]浅野俊彦
所在地〒981-3680
宮城県黒川郡大和町吉岡まほろば一丁目1番地の1
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度26分14秒 東経140度53分11秒 / 北緯38.43733度 東経140.88636度 / 38.43733; 140.88636座標: 北緯38度26分14秒 東経140度53分11秒 / 北緯38.43733度 東経140.88636度 / 38.43733; 140.88636
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大和町(たいわちょう)は、宮城県中部、黒川郡に属する町である。
2010年代の全国の市区町村で人口減少傾向のところが多い中で、人口増加率が高い[2]。 宮城県中部、仙台市の北に位置する町である。 ほぼ真北が大衡村に、北西方が色麻町に、東方が大郷町に、南東方が利府町にそれぞれ接していて、町内中央部の東寄りの一角に富谷市が南方から突き出すような形で分立する、不規則な地形をしている。町役場はこれら大衡村と富谷市に南北から突き出された、回廊地帯のような一角(吉岡地区)に位置している。 土地利用面では、町面積の大半は穏やかな森林地帯に属し、先述の町役場を含めた一帯の東西を、吉田川が流れている。 内陸に位置しているため、隣接する富谷市や大衡村や色麻町と同様、冷涼・寒冷である。冬季は、日本海側の雪雲の影響も受けやすく積雪も少なくない。 2020、2022年の「自治体経営力ランキング」で全国1位に選ばれた[10]。 (平成12年国勢調査報告) 大松沢丘陵上に、地域振興整備公団と宮城県土地開発公社の共同事業により造成された。近くには同様に仙台北部中核テクノポリス構想に基づいて大規模内陸工業団地として開発された第二仙台北部中核工業団地(大衡村)や、これらの団地の機能を補完する流通業務を目的として造成された大衡工業団地(大衡村)、また、宮城県長期総合計画に基づいて県内物流機能を目的として造成された大和流通団地(町内)がある[注釈 5][注釈 6][注釈 7]。 なお、学苑(地名)の集配業務等の管轄は泉西郵便局となっている(当地には、宮城大学などが所在)。 配列は、統一金融機関コード順。
地理
山岳
山岳:笹倉山(大森山)・陣ヶ森 91.1m・蘭山 780.6m・七ツ森・高倉山
河川:吉田川・宮床川[3]・竹林川・善川[4]
隣接している自治体・行政区
仙台市(青葉区、泉区)
富谷市
宮城郡:利府町
黒川郡:大衡村、大郷町
加美郡:色麻町
歴史「黒川郡#沿革」も参照
6世紀頃、鳥屋八幡古墳(宮城県指定史跡)から推測すると古墳時代後期には豪族が住んでいたと考えられている[5]。
14世紀半ばの大和町は、大崎直持に治められ、その一族の黒川氏直の所領だった。
1590年(天正18年)黒川晴氏が伊達に敗れると、鶴巣館の北麓の下草城を1610年(慶長15年) - 1616年(元和2年)の間、伊達政宗の三男伊達宗清が居城とする。
吉岡宿は江戸時代の1615年 - 1616年(元和元年 - 元和2年)、伊達宗清が3万8千石で吉岡所(吉岡城)を築城し、侍屋敷、足軽屋敷、寺社の移転、整備を行い、上町、中町、下町の伝馬町を設置。城下町・宿場としての体裁を整えた。
1662年(寛文2年)からは奥山氏、1757年(宝暦7年)から但木氏(ただきうじ、但木顕行)が統治した。
一方で、1666年(寛文6年)に、伊達宗房は宮床に居館を構え、宗房の子孫は一時期を除き、幕末まで宮床を本拠とした(宮床伊達氏)。
吉岡宿は仙台藩自体の直轄領ではなかったものの、出羽街道、松島道との分岐点で交通の要所であり、仙台以北では大きな宿場で黒川郡の中心となった。一方、仙台藩から助成金が給付されず、重い課役で、住民が少しずつ吉岡宿を離れた。
九品寺の国恩記顕彰碑(吉岡宿を救った9名)
商人の穀田屋十三郎(1720年(享保5年) - 1777年(安永6年))と菅原屋篤平治[6][注釈 1] は吉岡宿の住民の貧困をなんとか救おうと、黒川郡の大肝煎の千坂仲内[注釈 2] に相談するなどして、同志と合わせ9名[注釈 3][注釈 4] で1000両という大金(現在の金額でおよそ1億円 - 3億円)を8年かけて捻出し、その金を仙台藩に貸付けて、年末に受け取る1年ごとの利子で宿場を運営した(安永2年(1773年)頃から)。毎年暮れになると利息の100両を手にすることが出来るようになった吉岡宿は幕末に至るまで人口は減らなかった。
文化年間(1804年 - 1818年)では140軒と、仙台以北の奥州街道では大きな宿場に育った。
但木氏は、代々仙台藩奉行職を勤め、吉岡但木氏の5代目当主但木土佐は、幕末の仙台藩の財政立て直しに尽力するも、幕末の騒乱で敗戦、責任者として1869年(明治2年)5月19日処刑される。その墓が大和町吉田字一ノ坂28の保福寺にある[7]。
1929年(昭和4年)- 現・大和町武道館が落成。
1955年(昭和30年)4月20日 - 昭和の大合併により、吉岡町、落合村、鶴巣村、宮床村、吉田村が新設合併し、大和町が発足。
1997年(平成9年)- 宮城県農業短期大学を併合して、大和町唯一の宮城大学が開校。
2007年(平成19年)- 大和町立吉岡、鶴巣、落合、吉田の各中学校を統合して大和中学校が開校。
2010年(平成22年)- 役場庁舎が移転。
2011年(平成23年)- 東京エレクトロン宮城(株)の新工場が操業。
2013年(平成25年)4月1日 - 役場庁舎の北側に、駐車場、タクシープールを併設した大和町バスターミナルを開設。
2015年(平成27年)9月11日 - 平成27年9月関東・東北豪雨で吉田川や竹林川が氾濫、町内の住宅の一部や主要施設が冠水[8]。
2016年(平成28年)5月14日 - およそ240年ほど前の吉岡宿を舞台とした映画『殿、利息でござる!』(東日本放送、松竹)が公開された。
2019年(令和元年)10月13日 - 令和元年東日本台風(台風19号)の豪雨により吉田川の堤防から越水。付近一帯が水没した[9]。
行政
町長:浅野 元
黒川地域行政事務組合(富谷市及び黒川郡内3町村、大和町、大郷町、大衡村で構成する複合一部事務組合)によって、病院、消防、し尿処理、ごみ処理の管理運営を行っている。
産業・経済
産業人口構成比
第一次産業 6.9%
第二次産業 36.0%
第三次産業 57.1%
仙台北部中核工業団地
仙台北部中核工業団地内にある主な企業
仙台小林製薬(医薬品の製造)
ケルヒャージャパン
トヨタ自動車東日本 宮城大和工場
富士フイルムフォトニックス
明治 東北工場
センコー 仙台北支店(イオン東北RDC)
東京エレクトロン宮城
郵便
吉岡郵便局(集配局)
鶴巣郵便局
宮床郵便局
陸前吉田郵便局
大平簡易郵便局
鶴巣太田簡易郵便局
金融機関
七十七銀行吉岡支店(指定金融機関)
仙台銀行吉岡支店
古川信用組合吉岡支店
新みやぎ農業協同組合
大和支店
大和インター支店
姉妹都市・提携都市
まほろば連邦
新潟県大和町(現南魚沼市)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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