大友良英
基本情報
生誕 (1959-08-01) 1959年8月1日(64歳)
日本・神奈川県横浜市
学歴不明
ジャンルノイズミュージック
実験音楽
フリージャズ
映画音楽
職業ミュージシャン
共同作業者高柳昌行、巻上公一、菊地成孔、Phew、大友良英ニュー・ジャズ・クインテット、大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ、Ground Zero、
公式サイト ⇒大友良英 オフィシャルウェブサイト
大友 良英(おおとも よしひで、1959年8月1日[1] - )は、日本のギタリスト、ノイズ、フリー・ジャズ、ターンテーブル奏者、前衛音楽、即興音楽[2]、パンク・ロック演奏者、作曲家、テレビ・映画音楽家、プロデューサー。
神奈川県横浜市生まれ[1][3]。 9歳まで横浜市で過ごし、その後高校卒業までの10代を福島市で過ごす[1][3]。若いうちからジャズ喫茶に入り浸り、阿部薫、高柳昌行などのフリー・ジャズに衝撃を受ける。 1977年に福島県立福島高等学校卒業[4]後、明治大学文学部二部文学部文芸学科に入学。大学在学中から高柳昌行の生徒兼付き人として数年間下積みを続けるも、1986年末に高柳との関係がこじれギターにも挫折したため、高柳のもとを飛び出した[5]。大友は後にこの事件を「若気の至り」「ギターがなかなか上手くならない焦りもあった」と回想している。 1970年代後半より、新宿ピットインをはじめ数々のライブハウスに通っていたが、俳優の殿山泰司と遭遇することも多かったという。客が少ない時は5人というライブもあり、その中にも殿山がいたという話題を披露している。やがて大友は、即興演奏に熱心に取り組み始めた。 1990年代に入り、初のリーダーアルバムを香港のレーベルから発表。自身のバンドGROUND-ZEROを立ち上げ、アメリカやイギリス、日本から次々にアルバムを発表する。同時期、香港や中国映画の音楽も手がけるようになり、どこにも所属せずに、様々なジャンルや国境を超える独特の活動スタンスが内外で注目を集めた。 GROUND-ZEROは1998年に解散。その後もノイズミュージックやフリー・ジャズの分野で作品を発表する一方、様々なバンドでギターやターンテーブルを担当、また国内でも映画音楽、テレビドラマの劇伴などの作曲も数多く手がけるようになり、サウンドトラックの作曲家としても知られるようになる。 多作なことでも知られ、これまで参加したアルバムは300作を超え、また数多くのバンドやプロジェクトにも参加してきている。 1990年代から2000年代前半にかけては欧米やアジア圏と海外での演奏活動が中心だったが、近年は映画やテレビの音楽の作曲や、音楽展示作品の制作、プロデュース等に比重がうつって来ているように見える。 即興やノイズ系の音楽家として知られたが、作品の幅は広く、カヒミ・カリィや浜田真理子等ポップシンガーのアルバム・プロデュースも手がけ、また2000年代に入ってからはONJQ等を結成、ジャズの分野でも活動している。 2005年に参加した知的障害者とミュージシャンたちによるグループ「音遊びの会」のサポートでも注目をあつめている。 2006年6月、吉祥寺駅前の古い雑居ビルの12畳ほどの部屋に「GRID605」をオープン。岩井主税、牧野琢磨らとともに運営。2009年9月までに59回のイベントを行う。[6] 2009年には音楽家・大友良英を追ったドキュメンタリー映画『KIKOE』(監督:岩井主悦
略歴・人物
近年は、せんだいメディアテークの「without records」(2007年)や山口情報芸術センターの「ENSEMBLES」(2008年)を切っ掛けに、音楽と美術の領域にまたがりながら、一般市民とともに恊働で作る音楽の展示作品を次々に発表している。