大分県立佐伯鶴城高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯32度57分38.5秒 東経131度53分43.2秒 / 北緯32.960694度 東経131.895333度 / 32.960694; 131.895333
大分県立佐伯鶴城高等学校(おおいたけんりつ さいきかくじょうこうとうがっこう, Oita Prefectural Saiki Kakujo High School)は、大分県佐伯市城下東町にある県立高等学校。 旧佐伯藩城址を西にみる武家屋敷通りの一角にあり、付近には寺院も多い。 学校の歴史は古く、1911年(明治44年)創立の「大分県立佐伯中学校」と「大分県立佐伯高等女学校」を前身とする。佐伯中学校は、1910年(明治43年)南海部郡立佐伯中学校として創立され、1916年(大正5年)に県移管、大分県立佐伯中学校となる。また、佐伯高等女学校も1910年(明治43年)に佐伯町立実科佐伯女学校として発足。郡立学校を経て、1921年(大正10年)県立移管となり、大分県立佐伯高等女学校に改称したもので、それぞれ古い歴史と伝統を持つ。 現在の姿になったのは、1948年(昭和23年)の学制改革で、大分県立佐伯中学校と大分県立佐伯女子高等学校が合併して「大分県立佐伯第一高等学校[注 1]」(新制高等学校)第1部・第2部となって以来である。1951年(昭和26年)に現校名の大分県立佐伯鶴城高等学校に改称した。 2017年(平成29年)にスーパーサイエンスハイスクールに指定。 「自治・信愛・剛健」を校訓に勉学と人格の涵養に励んでいる。
設置学科
普通科
概要
沿革
旧制中学校(男子校)[1]
1910年(明治43年)6月 - 南海部郡立佐伯中学校の設置が認可される。
1911年(明治44年)4月1日 - 佐伯町馬場に「南海部郡立佐伯中学校」が開校。本館が完成し、1・2学年が入学。
1916年(大正5年)4月1日 - 「大分県立佐伯中学校」と改称。
1925年(大正14年)4月 - 運動場が完成。
1930年(昭和5年)9月 - プールが完成。
1936年(昭和11年)5月 - 本館を改築。
1941年(昭和16年)3月 - 新校舎6教室を増築。
1948年(昭和23年)3月31日 - 閉校。
高等女学校
1911年(明治44年)6月 - 佐伯町立佐伯尋常小学校
1918年(大正7年)4月1日 - 「南海部郡立佐伯実科高等女学校」と改称。
1920年(大正9年)4月 - 佐伯市中村外に校舎を新築し移転。
1921年(大正10年)4月1日 - 「大分県立佐伯高等女学校」と改称。
1948年(昭和23年)3月31日 - 閉校。
新制高等学校
1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、大分県立佐伯中学校と大分県立佐伯高等女学校の中等教育学校2校を統合し、「大分県立佐伯第一高等学校[注 1]」(新制高等学校)が発足。当初は部制により、第一部(男子)と第二部(女子)に分けて教育を開始。
1949年(昭和24年)4月21日 - 部制を廃止し、男女共学で教育を開始。この日を開校記念日に制定。
1950年(昭和25年)3月 - グラウンドを大改修。
1951年(昭和26年)
4月1日 - 「大分県立佐伯鶴城高等学校」(現校名)と改称。
8月 - 家庭科食物教室が完成。
1952年(昭和27年)3月 - 図書館を増築。
1953年(昭和28年)9月 - プール(25m)を改修。
1955年(昭和30年)6月 - 理科教室が完成。
1956年(昭和31年)4月 - 長島寄宿舎「鶴風寮」を新設。
1959年(昭和34年)