大分大学
大学設置1949年
創立1921年
学校種別国立
設置者国立大学法人大分大学
本部所在地大分県大分市大字旦野原700番地
学生数5,781
キャンパス旦野原(大分市大字旦野原)
王子(大分市王子新町)
挾間(由布市挾間町)
学部教育学部
経済学部
医学部
理工学部
福祉健康科学部
研究科教育研究科
経済学研究科
医学系研究科
工学研究科
福祉健康科学研究科
ウェブサイト ⇒http://www.oita-u.ac.jp/
大分大学(おおいただいがく、英語: Oita University)は、大分県大分市大字旦野原700番地に本部を置く日本の国立大学。1921年創立、1949年大学設置。大学の略称は分大(ぶんだい)。 大分大学は旧大分医科大学と合併したことにより発足した総合大学であり、現在は教育学部、経済学部、医学部、理工学部、福祉健康科学部の5学部を有する。 同学校には、『大分大学の基本理念』、『教育の目標』、『研究の目標』、『社会貢献の目標』、『運営の方針』を掲げている。[1] Oita Universityの頭文字「OU」をモチーフに、2つの円でデザインされている。旧大分大学と旧大分医科大学の統合を機に一般公募され、2007年に新しく制定された。 3番からなる曲が学歌として存在する。旧大分大学と旧大分医科大学の統合を機に一般公募され、2007年に新しく制定された。
概観
沿革
1921年(大正10年) - 大分高等商業学校が設置される。
1943年(昭和18年) - 大分師範学校が設置される。
1944年(昭和19年) - 大分青年師範学校が設置される。大分高等商業学校が大分経済専門学校に改称。
1949年(昭和24年)5月31日 - 新制「大分大学」が発足。学芸学部・経済学部の2学部を設置。
大分経済専門学校・大分師範学校・大分青年師範学校を包括し、在学生が卒業するまで存続。
1951年(昭和26年)3月 - 大分経済専門学校・大分師範学校・大分青年師範学校を廃止。
1966年(昭和41年)4月 - 学芸学部を教育学部に改称。
1969年(昭和44年) - 旦野原地区に統合移転を完了。
1972年(昭和47年)4月 - 工学部を設置。
1976年(昭和51年)4月 - 大分医科大学を設置。
1981年(昭和56年)10月 - 大分医科大学附属病院が開院。
1989年(平成元年)4月 - 教育学部に教員養成を主な目的としない[注 1]情報文化社会課程を設置。
1997年(平成9年)4月 - 教育学部に福祉人間科学課程を設置。
1999年(平成11年)4月 - 教育学部を教育福祉科学部に改称。
2002年(平成14年)4月 - 福祉に焦点をあてた福祉社会科学研究科(大学院)を設置(国立大学の人文社会系として初)。
2003年(平成15年)10月 - (旧)大分大学と大分医科大学が統合され、(新)大分大学発足。大分医科大学附属病院を「大分大学医学部附属病院」に改称。
2004年(平成16年)4月 - 国立大学法人化。
2016年(平成28年)4月 - 教育福祉科学部を改組(2015年(平成27年)8月に申請が認可された[2])。
教育福祉科学部のゼロ免課程(情報社会文化、人間科学福祉の2課程)の募集を停止し、学校教員養成に特化。学部名を「教育学部」とする。
「福祉健康科学部」を新設。募集停止する教育福祉科学部2課程の教育研究の一部を引き継ぐ[3]。
教職大学院を新設。
工学研究科を改組。
2017年(平成29年)4月 - 工学部を改組し、理工学部を設置。
2023年(令和5年)4月 - 医学部に「先進医療科学科」を開設。医学部への新学科増設は1994年度の看護学科以来で、2020年6月30日、当時の北野正剛学長が「医学部に医療技術者らを育成するメディカル・イノベーション学科(仮称)を新設する構想がある」と発表していた。
2024年 (令和6年) 4月 - 経済学部を改組し、「総合経済学科」を設置。従来の4学科から、経済分析・政策コース、IBPコース[注 2]、会計コース、社会イノベーションコース、生活・仕事創造コース、地域経営・法コースからなる1学科6コース体制へと変更される[4]。
基礎データ
所在地
旦野原キャンパス(大分市大字旦野原)
挾間キャンパス(大分県由布市挾間町)
王子キャンパス(大分市王子新町)
象徴
シンボルマーク
学歌
組織
学部
教育学部(2016年4月に教育福祉科学部から改組)
学校教育教員養成課程[注 3]
小学校教育コース
特別支援教育コース
教育福祉科学部(2016年4月に募集停止)
学校教育課程
発達教育コース (教育学・教育心理学・幼年教育の3選修)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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