耶馬渓線
脇線に停車中の車両
概要
現況廃止
起終点起点:中津駅
終点:守実温泉駅
駅数19駅
運営
開業1913年12月26日 (1913-12-26)
廃止1975年10月1日 (1975-10-1)
所有者耶馬渓鉄道→大分交通
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長36.11 km (22.44 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
過去の軌間762 mm (2 ft 6 in)(1929年まで)
最小曲線半径160 m (520 ft)
電化全線非電化
最急勾配16.7 ‰
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0.00中津駅 標高5.61m
第1山国川橋梁 山国川91m
耶馬渓線(やばけいせん)は、かつて大分県中津市の中津駅から同県下毛郡山国町(現・中津市)の守実温泉駅に至る、大分交通が運営していた鉄道路線である。地元では「耶鉄」と称される。 1913年(大正2年)に耶馬渓鉄道として開業。のちに大分交通の路線となった。山国川に沿って延びるこの鉄道は、沿線に青の洞門、羅漢寺、守実温泉などの観光地を控えていた。1970年代に入り、沿線の過疎化による利用者の減少と道路整備が進んだこと、さらに国鉄中津駅の高架化(1977年(昭和52年)完成)に伴う費用の応分の負担を要求されたことから、バス転換の方針が打ち出され、1975年(昭和50年)に全線が廃止された。全廃時の営業係数は250余りであった[1]。 この鉄道線の廃止に伴い、大分交通は鉄道事業から撤退し、大分県内の私鉄事業者はケーブルカーなどの特殊鉄道を除いて消滅し、同県内の普通鉄道は国鉄線(→JR九州)のみになり、この状態が現在も続いている[注釈 2]。 1971年(昭和46年)時点で1日あたり中津 - 守実温泉間下り6本、上り8本、中津 - 耶鉄柿坂間2往復、中津 - 洞門間2往復が運行されていた。その他、平日には中津 - 大貞公園までの区間運転も行われていた。 耶馬渓鉄道 開業時は軌間762mmであったが、国鉄との輸送に支障を生じるため1067mmへの改軌が大正末期から課題となっていたものの、不況期であり延期されていた。しかし、1927年(昭和2年)6月に専務から社長に就任した小疇寿[注釈 3]が軌間拡幅工事に着手することを決定。資金は日本興業銀行から90万円[4]を借り入れることになった[注釈 4]。工事は1928年(昭和3年)5月に着工し、1929年(昭和4年)8月に完成した。車両は鉄道省からの払下げをうけることになり、8月24日から運行を開始した。
概要
路線データ
路線距離(営業キロ):中津 - 守実温泉間 36.1km
軌間:1,067mm(廃止時点)
駅数:19駅(起終点駅含む。廃止時点)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式
運行形態
歴史
種類株式会社
本社所在地 日本
大分県中津市豊田町1丁目1549[2]
設立1912年(明治45年)6月29日[2]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業、バス事業、温泉旅館経営[2]
代表者社長 村上巧児[2]
資本金1,050,000円(払込額)[2]
特記事項:上記データは1943年(昭和18年)4月1日現在[2]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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