大内力
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大内 力宇野学派
日本学士院により公表された
肖像写真
生誕1918年6月19日
東京府東京市
死没 (2009-04-18) 2009年4月18日(90歳没)
東京都新宿区
国籍 日本
研究機関日本農業研究所
東京大学
信州大学
大東文化大学
研究分野経済理論
経済政策
母校東京帝国大学経済学部卒業
学位経済学博士
(東京大学・1961年
影響を
受けた人物宇野弘蔵
実績三段階論に立脚し
国民経済世界経済の視点で
農業問題を研究
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大内 力(おおうち つとむ、1918年6月19日 - 2009年4月18日)は、日本経済学者。専門は、経済理論経済政策。学位は、経済学博士東京大学1961年)。東京大学名誉教授、信州大学名誉教授。日本学士院会員勲等勲二等

財団法人日本農業研究所研究員、東京大学社会科学研究所助教授、東京大学経済学部教授、東京大学経済学部学部長、東京大学総長特別補佐、信州大学教授、大東文化大学教授、全国大学生活協同組合連合会会長などを歴任。
概要

東京府出身の経済学者である。マルクス経済学経済理論経済政策を専攻し、宇野弘蔵理論の立場から日本の農業問題を研究。また近代経済学の成果を柔軟に取り入れ、1970年の『国家独占資本主義』では、宇野理論における現状分析として、管理通貨体制下における金融政策(インフレ政策)による賃金上昇抑制と、それによる恐慌への対処を現代国家の本質的機能であるとした。日本農業研究所を経て、東京大学信州大学大東文化大学にて教鞭を執り、のちに東京大学名誉教授および信州大学名誉教授となった。

妻の節子は大塚保治の娘で[1]、力と同じく経済学者であり[2]ジョン・スチュアート・ミルのThe Subjection of Womenを、『女性の解放』のタイトルで、力の父である兵衛と共訳するなどの業績がある[3]
略歴

大内兵衛の次男として東京に生まれる。

1936年、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。第一高等学校を経て、

1940年、東京帝国大学経済学部経済学科入学。

1942年、東京帝国大学卒。日本農業研究所研究員。

1946年、東京帝国大学社会科学研究所嘱託。

1947年、東京大学社会科学研究所助教授。

1948年、『日本資本主義の農業問題』で毎日出版文化賞受賞。

1960年、東京大学教授。

1961年、経済学博士。農政審議会委員。

1968年、米価審議会委員、東京大学評議員、東京大学経済学部長。加藤一郎を補佐する執行部のナンバー2として東大紛争にも関わった。

1972年、東京大学総長特別補佐(副総長)。

1974年、平和経済計画会議運営委員、東京大学評議員。

1979年、定年退官、信州大学教授。

1982年、日本学士院会員。

1984年、信州大学名誉教授、日本学術会議会員推薦管理会委員。

1987年、大学生協東京事業連理事長、大東文化大学教授。

1988年、雇用審議会委員。

1989年、全国大学生活協同組合連合会会長理事、学士会常務理事、生協総合研究所理事長。

1990年、勲二等旭日重光章受章。

2000年、生活協同組合・東京高齢協理事長。

2002年、日本高齢者生活協同組合連合会会長理事。また農政審議会、米価審議会の各委員、雇用審議会会長も務めた。

2009年、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去。墓所は多磨霊園


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