大伴磐
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 凡例大伴磐
時代飛鳥時代
生誕不明
死没不明
主君宣化天皇
氏族大伴氏
父母父:大伴金村
兄弟磐、狭手彦糠手子、阿彼布古、
宇遅古、
子長峡、活目、弟古
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大伴 磐(おおとも の いわ)は、飛鳥時代豪族大連大伴金村の子。
目次

1 経歴

2 系譜

3 脚注

4 参考文献

経歴

宣化天皇2年(537年朝鮮半島において新羅任那を侵攻したため、宣化天皇の命をうけた父・金村は子息の磐と狭手彦とを任那救援のために派遣する。この時、磐は筑紫国に留まって、その国政を掌り、三韓(高句麗百済新羅)に対して防備を固めた。一方の狭手彦は渡海して任那を鎮め、百済を助けた[1]

継体朝において甲斐国山梨郡山前邑に移住し、子孫は大伴山前氏(大伴山前連)となったとする系図がある[2]
系譜

父:
大伴金村

母:不詳

生母不明の子女

男子:大伴長峡[2] - 子孫は大伴山前連、家内連

男子:大伴活目[2]

男子:大伴弟古[2] - 子孫は大伴山前連、大伴直


脚注^ 『日本書紀』宣化天皇2年10月1日条
^ a b c d 『古屋家家譜』(『甲斐国一之宮浅間神社誌』資料編及び『各家系譜』所収)

参考文献

宇治谷孟『日本書紀 (上)』講談社講談社学術文庫〉、1988年

宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年


更新日時:2018年10月14日(日)02:20
取得日時:2019/07/22 18:18


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