凡例大伴 今人
時代平安時代初期
生誕不明
死没不明
官位従五位上・出羽守・征夷副将軍
主君嵯峨天皇
氏族大伴氏
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大伴 今人(おおとも の いまひと)は、平安時代初期の貴族。官位は従五位上・出羽守・征夷副将軍。 備□守[1]赴任時、部下の同国掾・河原広法と共に大規模な治水・灌漑を行い巨大な用水路を完成させた。初め百姓たちはこれを非難したが、後に大きく利益を蒙ったことからこの大水路を伴渠(大伴さんの水路)と呼び、「魏の西門豹が生き返ったとしても出来ないことだ。」と彼を称賛したという。 また蝦夷征討にも従事し、弘仁2年(811年)3月に出羽守として、計略を立てて勇敢な俘囚300余人を率い雪の中を進軍し、奇襲により爾薩体の蝦夷60余人を討ち獲る。今人の戦功はすぐに広まり名は長く伝わったという[2]。翌月に征夷副将軍に任じられ、征夷将軍・文室綿麻呂の下で引き続き蝦夷征討に従事した。同年12月には征討の功績により従五位下から従五位上に昇叙されている。 『日本後紀』による。
経歴
官歴
時期不詳:従五位下
弘仁2年(811年) 3月20日:見出羽守。4月17日:征夷副将軍。12月13日:従五位上
脚注^ 欠字。備前・備中・備後の何れか。
^ 『日本後紀』弘仁2年3月20日条
参考文献
宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、1995年