大井競馬場
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大井競馬場
大井競馬場のパドックとL-WING
施設情報
通称・愛称東京シティ競馬 (TCK)
所在地東京都品川区勝島2-1-2
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度35分36.4秒 東経139度44分35.9秒 / 北緯35.593444度 東経139.743306度 / 35.593444; 139.743306座標: 北緯35度35分36.4秒 東経139度44分35.9秒 / 北緯35.593444度 東経139.743306度 / 35.593444; 139.743306
開場1950年5月2日
所有者東京都競馬株式会社
管理・運用者特別区競馬組合
収容能力60,350人
コース
周回右回り、左回り(一部距離)
馬場ダート
内回り:1400m
外回り:1600m
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大井競馬場(おおいけいばじょう、Ohi Racecourse)は、東京都品川区勝島にある地方競馬競馬場である。施設は東京都競馬株式会社の所有で、特別区競馬組合が賃借し「東京シティ競馬 (TCK)」の愛称で競馬を施行している。川崎競馬場神奈川県川崎市)、浦和競馬場埼玉県さいたま市)、船橋競馬場千葉県船橋市)と共に南関東公営競馬を構成する。SPAT4加盟。
概要大井競馬場正門。正門前はバス発着場にもなっている。

1950年(昭和25年)5月に開場[1]。同年8月には特別区に対し競馬開催が認可[1]され、10月に設立された特別区競馬組合[1]により、11月に第1回区営競馬が開催された[1]。敷地内には1954年から大井オートレース場も併設していたが、大井オートレース場は、1973年に廃止された[注 1]

かつては特別区のほかに東京都庁も競馬を主催していたが、1967年東京都知事に就任した美濃部亮吉が都営ギャンブルの全廃を宣言。東京都が年8回開催していた大井競馬については、1970年度(昭和45年度)から開催回数を減少させて1973年度(昭和48年度)までに廃止する方針を打ち出した。これに対して特別区側は、都が減少させる開催分を肩代わりすることを宣言。結果的に東京都が主催者の立場から撤退したのみで開催数に変化はないまま[2][3][注 2]、現在は特別区のみが主催している。ただし東京都庁は大井競馬場や地方競馬電話投票システムSPAT4の所有および運営を行っている東京都競馬株式会社の筆頭株主であり、現在も間接的に公営競技から利益を得ている。

日本の競馬で使用されているゴール写真判定、枠別の帽色、スターティングゲート、パトロールフィルム制度は、いずれも大井競馬場が初めて採用した[1]。また、拡大馬番号連勝複式勝馬投票法(ワイド)も、大井競馬場が日本で最初に発売開始した[4]

1995年(平成7年)8月には、サンタアニタパーク競馬場と友好交流提携に調印[4]。交換競走として大井競馬場では「サンタアニタトロフィー」が、サンタアニタパーク競馬場では「東京シティカップ」が行われている[4]
歴史

1950年5月2日 - 開場。

1974年6月6日 - 地方競馬では初となる「中央競馬招待競走」を実施。優勝はゴールドイーグル(愛知所属、大井出身)。

1979年11月11日?11月17日 - 前年、米競馬三冠最年少記録を達成したスティーブ・コーゼン騎手が来日し騎乗する。25戦7勝の結果[5]

1986年7月31日 - 全ての公営競技を通じて、日本で初めてとなるナイター競走(トゥインクルレース)が開催された。

1996年

1月25日 - 厩舎の馬洗い場にいたスーパーオトメが物音に驚いて脱走、首都高速道路上に出る(「スーパーオトメ首都高速脱走事件」)。

6月19日 - 第19回帝王賞において、77818人の入場者数の最高記録を達成。優勝はホクトベガJRA所属)。


1997年12月30日 - ハクホウクン白毛馬としての初勝利を収めた。

2001年10月31日 - 第1回JBCが大井競馬場で開催。

2007年10月31日 - 第7回JBCスプリントで御神本訓史騎乗のフジノウェーブ(大井所属)が勝利、JBC史上初となる地方所属馬の勝利を果たす。

2008年4月11日 - 東京都競馬株式会社が米国で購入したバーナスコーニが、海外既走外国産転入馬として初出走した。

2011年

8月3日 - 同日実施されたサンタアニタトロフィーに地方競馬として初となる外国招待馬「レッドアラートデイ」(アメリカ)が出走した(16頭立て15着、完走馬最下位)。

12月29日 - 東京大賞典が地方競馬において初となる国際競走・国際GIに格付けされた。競走のレベルアップとダート競馬の発展に期待してのことで、日本グレード格付け管理委員会に対して申請し、認可された。


2013年

9月1日 - 史上初となる韓国との国際競走「アジアチャレンジカップ」が業務提携を結んだソウル競馬場で行われ、的場文男騎乗のトーセンアーチャー(橋本和馬厩舎)が優勝。

11月26日 - 韓国との国際競走「インタラクションカップ」が行われ、韓国所属のワッツヴィレッジが優勝。


2014年12月29日 - 東京大賞典が第60回を迎えたのを記念し、同競走史上初となる外国招待馬「ソイフェット」(アメリカ)が出走した(肺出血のため完走馬最下位)。

2015年11月1日 - 場内に新スタンド「G-front」が竣工[6]

2016年12月29日 - 第62回東京大賞典において37億3269万5200円(前年比135.8%)を売り上げ、地方競馬の1レースにおける売上レコードを更新。また、1日の売上も61億9493万3590円(前年比127.7%・SPAT4LOTOの売上を含む)と、こちらも地方競馬の1日における売上レコードを更新している[7]。なお、平成28年度(2016年4月4日?2017年3月24日)の売上は1159億791万7950円(前年比104.3%)となり、2年連続で売り上げが1100億円を突破。1日平均の売上も11億9492万6990円(前年比105.3%)と、前年度を上回っている[8]

2017年12月29日 - 第63回東京大賞典において42億7307万1200円(前年比114.5%)、1日で70億4365万7260円(前年比113.7%・SPAT4LOTOの売上を含む)を売り上げ、前年に引き続き地方競馬の1レース・1日の売上レコードを更新した[9]。平成29年度(2017年4月17日?2018年3月30日)の売上は1266億4247万9360円(前年比109.3%)となり、15年ぶりに売り上げが1200億円を突破。1日平均の売上も13億559万2570円(前年比109.3%)と、引き続き前年度を上回っている[10]

2018年10月7日 - 冬季の競馬未開催日に場内が大規模なイルミネーションスポットとなるイベント「東京メガイルミ(TOKYO MEGA ILLUMINATION)」を初開催。以降冬季の恒例イベントとなる。

2020年8月19日 - 黒潮盃当日の1日の売上が20億7005万9980円となり、レコードを更新した[11]


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