大久保
町丁
コリアタウン
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分19秒 東経139度42分15秒 / 北緯35.705317度 東経139.704286度 / 35.705317; 139.704286
国 日本
都道府県 東京
特別区 新宿区
地域淀橋地域
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1])
人口16,302 人
世帯数10,894 世帯
面積([2])
0.724198749 km²
人口密度22510.4 人/km²
郵便番号169-0072[3]
市外局番03(東京MA)[4]
ナンバープレート練馬
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大久保(おおくぼ)は、東京都新宿区にある町名。現行行政地名は大久保一丁目から大久保三丁目。住居表示実施済みの地域。
地理東京都新宿区大久保3丁目保善高等学校から見た新宿高層ビルと海城学園
大正時代から終戦までは戸山界隈とともに華族や実業家の邸宅街として知られ、前田利為侯爵や安藤子爵、室町伯爵、北大路男爵などの、それぞれ400?500坪から1000坪ほどの邸宅が立ち並んでいた[5][6]。大久保やその近辺には小泉八雲、西條八十、吉江孤雁、国木田独歩、水野葉舟、前田晁、前田夕暮といった文学者が住み、クラブに集まり、投扇興という京都風の風雅な遊びを楽しんでいた[7]。
島崎藤村や下村湖人、岩野泡鳴、戸川秋骨、田岡嶺雲、嵯峨の屋おむろ、竹越三叉、松居松葉、草野柴二、服部嘉香、金子薫園といった文人も住民であり[8][注釈 1]、当時の大久保は「樹木に囲まれた閑静な住宅街で、文筆家や芸術家の集まる土地」で[9]「大久保文士村」とも呼ばれた[10]。
そのほか岡田啓介、平沼騏一郎、阿部信行といった歴代総理や、落合豊三郎、東條英教、与倉喜平といった軍人、牧野伸顕、床次竹二郎、警視総監安楽兼道のような官僚も西大久保に住んでいた[11][12]。それと同時に、市民の文化住宅も並び、庶民的な商店街も混在しており[13]、「山の手に下町が混っていた」「知識階級の子弟もいるけれども、廃品回収業の家の息子もいる」「原っぱもある、住宅街もある、貧民窟もある、それから町工場もある」と大久保小学校出身の加賀乙彦は回想している[14]。
しかし、東京大空襲で街のほぼ全域が罹災。家を失った住民は街を離れた。1950年の朝鮮戦争の際にGIが日本人女性と情交するための場所としてこの一帯を選び、1960年代以降、大久保の住宅の多くは連れ込み宿となった[14]。現在も基本的には住宅街であるが、駅周辺は百人町と合わせて日本最大のコリア・タウンといわれている[15]。ただ実際は韓国のみならず、中華人民共和国やタイ、ミャンマー、インド等のアジア諸国、近年はイスラム系の国々も増え、料理店・雑貨店が立ち並んでいる。近年は日本の名門大学を目指す中国人留学生向けの予備校が相次いで進出している[16]。他には戸山公園、新宿スポーツセンターや新宿コズミックセンター、大久保スポーツプラザなどの運動施設があり、早稲田大学西早稲田キャンパスや海城中学校・高等学校といった私立中高学校、各種専門学校が多く集まる文教地区でもある。
2019年10月1日、東京都は大久保一丁目と二丁目に暴力団排除特別強化地域を設定[17]。暴力団と飲食店等との間で、みかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止された。違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科される[18]。
商店会大久保通りのにぎわい
新宿マンモス通り商栄会 大久保一丁目
「天使のすむまち」新大久保商店街振興組合 大久保一丁目
新宿大久保新興会 大久保二丁目
明和会 大久保二丁目
オレンジコートショッピングセンター会 大久保三丁目
2001年に大久保のニューカマー韓国人を中心に在日本韓国人連合会(韓人会)が結成された後、韓国・朝鮮系商店主と地元日本人の商店会である新大久保商店街振興組合・新宿マンモス通り商栄会等との間で会合がもたれるようになり新宿の北隣という立地を生かし、横浜・神戸・長崎などの中華街に倣って観光地として整備し地域活性化を図ろうという案も出ている。