大久保利建
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 凡例大久保 利建
時代江戸時代後期
生誕不詳
死没文政4年8月4日1821年8月31日
別名通称:勘兵衛
幕府江戸幕府
薩摩藩
氏族藤原氏
父母父:大久保利敬
兄弟利建、治良介、利世
日置氏
子長女:ミハ(美和子。牧野吉之丞の妻、牧野伸顕の養母)
養子:大久保利世
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大久保 利建(おおくぼ としたつ)は、江戸時代後期の薩摩藩鹿児島城下士。大久保家7代当主。大久保利通の伯父。
来歴

鹿児島城下高麗町(現在の鹿児島県鹿児島市高麗町)で生まれる。文政4年(1821年)4月20日、大島代官附役として、奄美大島の伊津部湊に着く。同年7月25日、病となり、同年8月4日、在職中、奄美大島で死去。祖父や父同様に鹿児島城下に戻ることはなかった。

実子は一女のみのため、末弟の大久保利世が養子となって家督を相続した。次弟の治良介は利建より早く死去している。なお、後任の付役がその年に赴任したが、まもなく死去し、再度後任が派遣される事態となっている。
備考

「大久保利通伝 上」では利建の死亡地を
沖永良部島としているが、当時、大島代官の任地は奄美大島であり、「奄美資料集成」では大島代官附役として「大久保勘兵衛」があり、沖永良部島死亡は誤り。

「大久保利通伝 上」によると利建の妻は、義弟利世が琉球館附役を務めていたとき、幼少の利通と加治屋町の家で暮らしたらしい。当時、琉球館附役は館内の宅地で暮らすことになっていたが、利通に郷中教育を受けさせるために加治屋町に住まわせたという。

参考文献

勝田孫弥 『大久保利通伝 上』(臨川書店

『奄美資料集成』


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