大久佐八幡宮
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大久佐八幡宮

本殿
所在地愛知県小牧市大字大草東上(ひがしかみ)2784
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度17分37.22秒 東経136度59分50.17秒 / 北緯35.2936722度 東経136.9972694度 / 35.2936722; 136.9972694
主祭神大鷦鷯命
誉田別命八幡神
息長足姫命
社格郷社
創建年代不詳
別名大久佐神社
主な神事初午祭
輪くぐり祭
大草棒の手
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鳥居

大久佐八幡宮(おおくさはちまんぐう)は、愛知県小牧市大草(おおくさ)地区[1][2]にある神社八幡宮)である。
歴史

創建年代は不詳。社伝によれば、もっとも古い記録は「清和天皇在位の871年重陽の日(9月9日)に、神輿行列や流鏑馬などが行われた」とある。

16世紀末の豊臣家が権勢を誇った時代に社領の全てを没収され、一時途絶える。

慶長年間(16世紀末 ? 17世紀初頭)に、現在の大叢山福厳寺の場所から、現在の場所に移転。社伝によれば移転の際、「旧・社領には榊(さかき)の木を植えた」とある。江戸時代末期の1867年8月に、勅命で神階正一位に任ぜられる。そして第二次世界大戦前の1937年には、旧・社格においての郷社に列せられる。しかし戦後は国家管理から独立し、「宗教法人大久佐八幡宮」と改称。現在に到る。
年表

871年9月9日 - 神輿行列や流鏑馬などが行われる。

16世紀末 - 社領の全てを没収され、一時途絶える。

16世紀末?17世紀初頭 - 現在の大叢山福厳寺の場所から、現在の場所に移転[3]

1867年8月 - 勅命で神階正一位となる。

1937年 - 郷社に列せられる。

20世紀後半(戦後) - 「宗教法人大久佐八幡宮」と改称。国家管理から独立。

1983年2月17日 - 大草棒の手が、小牧市の指定無形民俗文化財に。

1986年 - 拝殿の大規模修繕。

2002年4月1日 - 三十六歌仙絵札と奉納札が、小牧市の指定有形民俗文化財に。

祭神
八幡三神

大鷦鷯命仁徳天皇

誉田別命応神天皇八幡神八幡大菩薩

息長足姫命神功皇后

境内社

大久佐稲荷大神(
稲荷神

祭事
初午(はつうま)祭
毎年3月に行なわれる神事。この日には、人形供養なども行なわれる。
輪くぐり祭
毎年7月に行なわれる神事
大草棒の手(ぼうのて)
毎年10月に行なわれる神事小牧市の無形民俗文化財に指定されている[4]
所蔵品
三十六歌仙絵札
三十六歌仙を描いた絵札。江戸麹町(現在の東京都千代田区)に住む池田屋吉兵衛によって奉納された。本来は36枚あるはずだが、現在は4枚(小野小町藤原敦忠遍昭素性)欠けている。長い間拝殿の壁に風雨にさらされた状態で掛けられていたため、かなり損傷が激しかったため、1986年の拝殿修理の際に取り外され、絵札の写真が掲示されている。2002年小牧市の有形民俗文化財に指定されている[5]
所在地

愛知県小牧市大字大草東上(ひがしかみ)2784

交通手段

こまき巡回バスおよび名鉄バス 高蔵寺桃花台線(高森台経由)の「大草東上(おおくさ ひがしかみ)」停留所下車、徒歩で約1分。


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