『大いなる力には、大いなる責任が伴う』(おおいなるちからには、おおいなるせきにんがともなう)は、古くからの格言であり、少なくとも紀元前4世紀には「ダモクレスの剣」の引喩にあった。この定型句は、ジャーナリストや作家などの文筆家、そして政治、君主の修辞、法の執行、公共の安全、そして様々なメディアで使われてきた[1][2][3][4]。
この成句はスパイダーマンが登場するマーベル・コミックや、その映画化作品に登場したことで、さらに大衆化した。
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この格言は、キリスト教の聖書の「忠実な僕のたとえ
(英語版)」(ルカによる福音書12章48節)と特に類似している:「多く与えられた者からは多く求められ、多く任せられた者からは更に多く要求されるのである。」。また、ムハンマドの言葉にも、「あなた方全員が指導者であり、あなた方全員が自分の部下に対して責任を持つことになる」という表現があり、指導者の力と責任の相関関係を表している[5] 。
東洋においても、唐宋八大家の一人曾鞏の文に「臣聞く、基厚き者は勢い崇く、力大なる者は任重しと(わたくしは「基礎が厚く強固なものは勢威は高く、実力の強大なものはその責任は重い」と聞いております)」とある[6]。
しかし、個別の文言(「大いなる力」と「大いなる責任」)の使用は、少なくともフランス革命の時代にまでさかのぼる。1793年のフランス国民公会で公安委員会が提案した『仕事・監視・通信計画』の中に、次のような文章が見られるからである[7] 。
Ils doivent envisager qu'une grande responsabilite est la suite inseparable d'un grand pouvoir.
彼ら(代表者)は、大きな責任は大きな力の不可分の結果であることを考えなければなりません。
しかしこの言葉は、ヴォルテールが1778年に亡くなる前に書かれた第48巻から借用されたものである。問題を複雑にしているのは、ヴォルテールの全著作54巻は、1829年まで著作権が認められなかったことである(彼の原稿に初めて著作権が認められた)。しかし、第48巻では、この「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉が初めて直接的に使われており、それがヴォルテールの存命中(1694年 - 1778年)に書かれていることから、公安委員会の宣言は彼からこの表現を借りているに過ぎないということになる。さらに不可解なのは、ヴォルテールは生前、非常に有名な作家であり哲学者であり、その影響力は弟子や弟子と噂されるロシア帝国のエカチェリーナ2世にまで及んでいたことである。
20年以上後の1817年には、イギリスの国会議員ウィリアム・ラムが「大きな力の所有は、必然的に大きな責任を意味する」と述べたことが記録されている[8]。
1885年、ユリシーズ・S・グラントは回顧録(英語版)の中で、「大きな責任を負うべき立場では、誰もが自分の能力を最大限に発揮して義務を果たすべきである」と書いている。
1899年、ウィリアム・マッキンリー米国大統領は、一般教書演説の中で次のように使っている:「この議会に与えられたのは、大きな機会である。それらには大きな責任が伴う」[9]。
1906年、ウィンストン・チャーチルは植民地省政務次官(英語版)として「大いなる力には大いなる責任がある」と述べた。これはこの言葉が当時すでに政府に対して発せられる文化的な格言であったことを示唆している[10][11]。