夢野一子
生誕 (1956-04-07) 1956年4月7日(68歳)
日本 東京都
国籍日本
活動期間1977年 -
ジャンル少女漫画
青年漫画
代表作『自転車にのって…』
『僕はムコ養子』
『この女に賭けろ』
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夢野 一子(ゆめの かずこ、1956年4月7日 - )は、日本の漫画家。東京都三鷹市出身、国分寺市育ち。血液型はB型[1][2]。女性。 ストーリー漫画を描き始めたのは中学に入ってからで、中学3年のころから投稿を開始している[3]。それから高校時代にも投稿、持ち込みを重ね、東京デザイナー学院中退ののち、第12回別コミ新人賞の佳作に入選し、1977年、『別冊少女コミック』(小学館)8月号に掲載の「光色の小さな部屋から」でデビュー。同誌や『プチフラワー』(小学館)で読切作品などを発表。その後、『リュウ』誌に「虹色の卵たち」という怪獣ものを発表し、新境地を開く[2]。さらに、『BE・LOVEパフェ』・『BE・LOVE』(講談社)などレディースコミック誌に活動の場を移す。1987年以降は、青年向け漫画誌の『月刊アフタヌーン』・『モーニング』(いずれも講談社)で活躍。その構成力と独特のセリフ、ストーリー展開には定評がある。 ペンネームは、夢野久作+『魔法使いサリー』の主人公「夢野サリー」に由来[4]。 高校時代は、漫画のほかにも、アニメーションに夢中になっていたらしく、虫プロの『哀しみのベラドンナ』、東映動画の長編などの上映会に足を運んだという。テレビでは『バビル2世』や『マジンガーZ』、『人造人間キカイダー』や『仮面ライダー』、『海のトリトン』や『科学忍者隊ガッチャマン』などが面白かったという。『ライダー』は藤岡弘よりも佐々木剛派である、『アルプスの少女ハイジ』から『宇宙戦艦ヤマト』に切り替えており、漫研の仲間と録音したテープを聴き入っていたという。ほんの少しの長さであるが、8ミリのアニメーションを実際に作ったこともあるという。前述の東京デザイナー学院のころにアニメーションの道は挫折し、漫画に切り替えている。影響を受けた漫画家としては池上遼一や萩尾望都、星野之宣などであり、車田正美なども好みである[3]。 父親が巨人ファンで、その影響で野球好きになったという[5]。大洋ホエールズと西武ライオンズに夢中だった時期もあるという[1]。日本ハムファイターズの監督であった大沢啓二に惹かれていた時期もあったようである[3]。 徹夜は苦手。仕事のないときは、SF小説を読むことが多く、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの作品はほとんど読んでいる。『エイリアン』は二度見ており、『ウルトラQ』や『怪奇大作戦』など怪奇ものも好きである。レッドキングやゴジラの美しさに感動したという。バルンガやペギラなども好みである。好きな俳優はメル・ギブソンであるが、『マッドマックス』シリーズでは女優の方に興味があると述べている。日本古代史や江戸時代史にも関心があるようである[3]。そば好きで、歌舞伎の『雪夕暮入谷畦道
略歴・人物
作品リスト
主な作品
光色の小さな部屋から(1977年、別冊少女コミック、小学館)
遅刻坂(1977年、別冊少女コミック)
ラブリータッチ(1977年、別冊少女コミック)
粉雪いっぱい(1977年、別冊少女コミック)
白い道化師(1978年、別冊少女コミック)
ボーイフレンズ(1978年、別冊少女コミック)
地下室メンバーズクラブ(1978年、別冊少女コミック)
白いさざなみの丘(1978年、別冊少女コミック)
すとりーとミュージック(1979年、別冊少女コミック)