「夢は夜ひらく」
園まり の シングル
B面一人で踊るブルース
リリース1966年9月5日
ジャンル歌謡曲
レーベルポリドール(SDR-1210)
作詞・作曲中村泰士、富田清吾(作詞)
中村泰士(採譜・補曲)
園まり シングル 年表
やさしい雨
(1966年)夢は夜ひらく
(1966年)帰りたくないの
(1967年)
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「夢は夜ひらく」
緑川アコ の シングル
B面悲しい夜のブルース
リリース1966年
ジャンル歌謡曲
レーベルクラウンレコード(CW-569)
作詞・作曲水島哲(作詞)
叶弦大(採譜・補曲)
緑川アコ シングル 年表
夢は夜ひらく
(1966年)女の恋は夜の花
(1966年)
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「夢は夜ひらく」
藤田功・愛真知子 の シングル
B面ひとりになりたい(愛真知子)
リリース1966年11月
ジャンル歌謡曲
レーベルテイチク(SN-432)
作詞・作曲大高ひさを(作詞)
曽根幸明(作曲)
愛真知子 年表
夢は夜ひらく
(1966年) 咲かせて頂戴愛の花
(1966年)
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「夢は夜ひらく」
梅宮辰夫 の シングル
B面憎いあん畜生
リリース1966年
ジャンル歌謡曲
レーベル日本コロムビア(SAS-781)
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「夢は夜ひらく」
バーブ佐竹 の シングル
B面女ざかりのブルース
リリース1966年
ジャンル歌謡曲
レーベルキングレコード(BS-528)
作詞・作曲藤間哲郎(作詞)
曽根幸明(作曲)
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『夢は夜ひらく』(ゆめはよるひらく)は、曽根幸明が作曲した日本の歌謡曲。
園まりが歌ったものと藤圭子が歌ったものが特に有名である。藤圭子版のタイトルは『圭子の夢は夜ひらく』(JASRAC届出の題名)である。
本項では原曲である『ひとりぽっちの唄』についても併せて記載する。 原曲は、東京少年鑑別所(練馬少年鑑別所、通称ネリカン)で歌われていた俗曲を採譜・補作し、曽根が自ら「藤原伸」名義で歌った『ひとりぽっちの唄』[1](1966年、テイチク、作詞:川上貞次(曽根のペンネーム))である。その後、歌詞・曲名を新たにつけかえ、園まりが歌うことになった[2][3]。 歌詞の異なる様々なバージョンがあり、JASRACには20を超える作詞者による異なるバージョンが登録されている(2006年2月時点)。 レコードでは1966年に園まり(ポリドール)の歌で発売し大ヒットとなった[4]。それに追随する形で他社からカバー盤が出され[4]、緑川アコ(クラウンレコード)、藤田功(曽根幸明)と愛真知子(愛まち子)(テイチク)、梅宮辰夫(コロムビア)、バーブ佐竹(キングレコード)の競作となった。緑川アコ版は園まりのオリジナル版相手に健闘した[4]。このうち梅宮版は要注意歌謡曲指定制度における旋律のみ使用可能なBランク指定となり、制度が1988年に失効するまで受け続けた[5][6]。1967年には、園まり版の歌詞をモチーフとして園まり自身の主演による映画が公開されている(後述)。 その後多くの歌手にカバーされ、中でも1970年発売の『圭子の夢は夜ひらく』(石坂まさを作詞)は藤圭子の代表曲となった。1999年には石坂の作詞家生活30周年を記念し、藤圭子版の歌碑が出身地である東京都新宿区の花園神社に建てられた。 アメリカ合衆国のデュエット曲『サマー・ワイン
概要
※藤田功は曽根幸明の別名義
夢は夜ひらく
作詞:大高ひさを、作曲:曽根幸明、編曲:牧野昭一
ひとりになりたい(愛真知子)
作詞:池田充男、作曲・編曲:曽根幸明
梅宮辰夫盤
夢は夜ひらく