夢であいましょう
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この項目では、1960年代のテレビ番組について説明しています。その他の用法については「夢であいましょう (曖昧さ回避)」をご覧ください。

夢であいましょう
番組の生放送が行われていたNHK東京放送会館(写真は1939年のもの)
ジャンルバラエティ番組
演出末盛憲彦、林叡作
出演者中嶋弘子
黒柳徹子
谷幹一
渥美清
E・H・エリック
岡田眞澄
坂本九
三木のり平
坂本スミ子
田辺靖雄
九重佑三子
西城慶子
ジャニーズ
デューク・エイセス
製作
プロデューサー増井敬三、川口幹夫
制作NHK

放送
音声形式モノラル
放送国・地域 日本
放送期間1961年4月8日 - 1966年4月2日
放送時間放送時間参照
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『夢であいましょう』(ゆめであいましょう)は、日本放送協会(NHK)のバラエティ番組1961年4月8日から1966年4月2日まで毎週土曜日22時台に日比谷会館、日比谷第1スタジオ(H-1)から生放送されていた。「上を向いて歩こう」など数々のヒット曲を世に送り出した。
概要

日本のテレビ放送初期に作られたバラエティ番組である。前身は1959年からNHKで放送された『午後のおしゃべり』とされる[1][2][3][4]

番組には毎回ごとのテーマが設けられて、これに沿ったショートコントで進行し、その合間に踊りやジャズ演奏、外国曲の歌唱などが挿入された。歌手コント出演や、コメディアンの歌唱などの企画は、後続のバラエティショー番組の原型となった。

初代ホステスの中嶋弘子が番組冒頭で上半身を右に傾けてお辞儀をするテレビ用の挨拶は、視聴者の話題になった。番組オープニングタイトルは繊維会社で宣伝部に在籍していた吉村祥が担当し、毎回趣向を凝らしていた。中嶋はその後、結婚の為に1965年3月をもって番組を降板。番組が終了するまでの1年間は、レギュラーの黒柳徹子が替わって司会を務めた[1]。そして1966年、番組はフランキー堺をホスト役に据えた『夢をあなたに』に衣替えする形で終了した。

1964年6月13日放送分では映画俳優のアラン・ドロンがゲスト出演した[注釈 1]。また、「日本の文化を紹介する番組」として、1964年6月15日から数回に渡りスウェーデン国営放送にて放送された[2]
放送時間

いずれもJST。一貫して土曜夜10時台に放送されたが、ニュース関連番組でしばしば移動することがあった。

1961年度:土曜 22:00 - 22:30

1962年度:土曜 22:15 - 22:45

1963年度:土曜 22:00 - 22:30

1964年度 - 1965年度:土曜 22:10 - 22:40

出演者body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper{margin-top:0.3em}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ul,body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ol{margin-top:0}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper--small-font{font-size:90%}

中嶋弘子 - 初代ホステス役を担当。結婚のため、1965年3月をもって降板。最終回にも出演。

黒柳徹子[5] - 1965年4月より2代目のホステス役を担当。

益田喜頓

高英男

越路吹雪

三木のり平

渥美清

E・H・エリック

谷幹一

岡田眞澄

水原弘

北島三郎[6]

坂本スミ子

西城慶子

森山加代子

ジェリー藤尾

坂本九

梓みちよ

田辺靖雄

金井克子

九重佑三子

弘田三枝子

ジャニーズ - この番組にて芸能界デビューを果たす。

デューク・エイセス

レ・パンテール

レ・ドーフィン

鈴木ヤスシ

ほか

スタッフ

作・構成:
永六輔大倉徹也

音楽:中村八大、八城一夫、岩井淳

振付:松見登、西野皓三

美術:星野昭、岩崎弘

技術:吉村政明

タイトル:吉村祥

演出:末盛憲彦、林叡作

制作:増井敬三、川口幹夫

今月のうた

毎月1曲、永六輔作詞・中村八大作曲による「今月のうた」が作られ、ここからたくさんのヒット曲が世に生まれ出た。中でも坂本九の『上を向いて歩こう』は大きな反響を呼び、数か月にわたって放送され、大ヒットした。アメリカでも"SUKIYAKI"のタイトルでヒットチャートに乗る成功を収めて世界中で流行し、当時の日本を代表する曲となった。また、ジェリー藤尾の『遠くへ行きたい』は、1970年から読売テレビ制作により現在も放送中の旅番組のタイトルとして使われ、主題歌も同曲が使われている(但し複数の歌手によるカバーソング)。この他にも梓みちよの『こんにちは赤ちゃん』は1963年第5回日本レコード大賞を受賞した。
代表作

上を向いて歩こう」(歌:坂本九、1961年10月と11月)

遠くへ行きたい」(歌:ジェリー藤尾、1962年5月)

「おさななじみ」(歌:デューク・エイセス、1963年6月)

こんにちは赤ちゃん」(歌:梓みちよ、1963年7月)

「ウエディング・ドレス」(歌:九重佑三子、1963年11月)

全曲のリストは、永六輔著「上を向いて歌おう:昭和歌謡自分史」(飛鳥新社)に掲載。また2013年1月30日には「今月のうた」と番組テーマ曲を収録し、「今月のうた」に関係した番組映像のDVDが付属したオムニバスアルバム『夢であいましょう 今月のうた 大全[注釈 2]EMIミュージック・ジャパンより発売されている。

曲名歌手放送年放送月備考
1誰も知らない高英男1961年4月
2夜のためいき朝丘雪路5月未音盤化楽曲。
3朝が来るのに水原弘6月未音盤化楽曲。
4海は知っている栗林義信7月未音盤化楽曲。
5電話のベルが待ち遠しいデューク・エイセス、スリー・バブルス8月歌唱音源は未発売。
6気の早い落葉坂本スミ子9月未音盤化楽曲。
7上を向いて歩こう坂本九10月好評につき2か月にわたって放送。
11月
8幸福のシッポ森山加代子12月森山による歌唱音源は未発売。
1962年1月1月は、なし。
9ブルージーン・ブルース弘田三枝子2月
10青空を抱きしめよう森山加代子3月
11風に歌おう水原弘4月
12遠くへ行きたいジェリー藤尾5月
13幸福がくすぐるの弘田三枝子6月未音盤化楽曲。
14この手を離さないで坂本スミ子7月歌唱音源は未発売。
15いつもの小道で田辺靖雄8月レコード音源では梓みちよとデュエットしている。
16お早う、今日は、今晩はデューク・エイセス、スリー・バブルス9月
17お母さんになりたい坂本スミ子10月未音盤化楽曲。
18一人になりたい高橋元太郎11月未音盤化楽曲。
19故郷のように西田佐知子12月
20太陽に頬よせて田辺靖雄1963年1月未音盤化楽曲。
21ひとりごとのブルースザ・ピーナッツ2月歌唱音源は未発売。
22芽生えて、そしてペギー葉山3月ペギーによる歌唱音源は未発売。
23ぼく帰りたい坂本九4月レコードでの表記は「帰りたい僕」。[7]
24おさななじみデューク・エイセス5月
25涙にしてみれば松尾和子6月
26こんにちは赤ちゃん梓みちよ7月
27誰かと誰かがジェリー藤尾8月
28昔を今にスリー・バブルス9月未音盤化楽曲。
29ウエディング・ドレス九重佑三子10月
30パララン・パン田辺靖雄、梓みちよ11月
31誰も丸山明宏[8]12月丸山による歌唱音源は未音盤化。[注釈 3]
32心はずんで五十嵐喜芳1964年1月未音盤化楽曲。
33目を閉じて和田弘マヒナスターズ2月
34その時だけの為にロミ・山田3月未音盤化楽曲。
35君が好き坂本九と中村八大シンガーズ4月「サヨナラ東京」のB面曲。
36こんなことってあるかしら九重佑三子5月未音盤化楽曲。
37娘よ益田喜頓6月
38言葉なんて・・・アイ・ジョージ7月未音盤化楽曲。
39若い涙ジャニーズ8月
40明日私は西田佐知子9月未音盤化楽曲。
41あの人梓みちよ10月未音盤化楽曲。
42あの涙デューク・エイセス11月
43帰ろかな北島三郎12月
44幸福って奴は ジェリー藤尾 1965年1月歌唱音源は未音盤化。
45どうする?  越路吹雪 2月未音盤化楽曲。 
46背のび  田辺靖雄3月田辺による歌唱音源は未音盤化。 
47ひとりもの  渥美清4月未音盤化楽曲。 
48僕と今夜  坂本九、デューク・エイセス5月レコーディング音源では、坂本のソロ。 
49ありふれた恋  小海智子6月未音盤化楽曲。 
50アラの歌  森田靖子7月未音盤化楽曲。 
51モンキー・ボン・ダンス  城山吉之助8月 
52あいたくても坂本スミ子9月未音盤化楽曲。 
53抱きしめて 九重佑三子10月 
54坊や フランキー堺11月フランキーによる歌唱音源は未音盤化。 
55男の歌  北島三郎12月 
56私でよかったら倍賞千恵子1966年1月
57歌え、君の歌を  田辺靖雄2月未音盤化楽曲。 

現存する映像

1962年
1月13日放送「61年度今月の歌特集」

1963年6月8日放送「上を向いて歩こう 特集」[9]

1963年6月22日放送「歌っていいなあ」

1963年7月13日放送「風のバラエティ」

1963年7月27日放送「夏の歳時記」

1963年8月3日放送「氷のバラエティ」

1963年12月7日放送「落語国紳士録」

1965年2月6日放送「これがわたし」

1965年6月19日放送「中村八大ですが…」

1965年7月17日放送「テレビ以前」

1965年8月21日放送「百年一昔」

1965年8月28日放送「歌は涙か ためいきか」

1966年4月2日放送「最終回」

以上13本がキネコで現存している。2007年11月にCS衛星放送スカイパーフェクTV!等の日本映画専門チャンネルで現存する13本が放送され、併せて構成作家だった永六輔へのインタビュー番組が放送された。

NHKアーカイブスの「公開ライブラリー」では

1963年6月8日放送「上を向いて歩こう 特集」

1963年6月22日放送「歌っていいなあ」

1963年7月13日放送「風のバラエティ」

1963年7月27日放送「夏の歳時記」

1963年8月3日放送「氷のバラエティ」

1963年12月7日放送「落語国紳士録」

1965年6月19日放送「中村八大ですが…」

1965年7月17日放送「テレビ以前」

1965年8月21日放送「百年一昔」

1965年8月28日放送「歌は涙か ためいきか」

1966年4月2日放送「最終回」

の12本分を視聴出来る。

また「放送ライブラリー」では

1962年1月13日放送「61年度今月の歌特集」


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