夜襲
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この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2015年8月)
第一次ソロモン海戦における夜戦(探照灯に照らされるアメリカ海軍重巡洋艦

夜戦(やせん、: night combat)は、夜間における作戦戦闘。夜間戦闘(やかんせんとう)とも。また、夜戦により敵に攻撃を仕掛ける戦術を夜襲(やしゅう、: night attack・night raid[1])という。
概要暗視装置により撮影された夜間警備にあたるアメリカ軍部隊

野外が暗くなってから行われる戦いであり、自軍・敵軍とも視界がほとんど得られない環境においての作戦・戦闘行動である。攻撃側から積極的に行われる夜戦を「夜襲」と呼ぶ[2]。「夜討ち」・「夜駆け」も同義である[3]。光熱インフラや探知装置の未発達な前近代においては、夜に敵陣へ攻め込むと守備側は不意を突かれる形になりやすいため、歴史上の夜襲は奇襲となっている例が多い[注釈 1]。この近代以前の奇襲となる夜襲は、とくに白兵戦において一方的に有利であるかのようなイメージや、そのために武装や兵力数に劣る側が勝利のチャンスを期待してしばしば行うといったイメージが強いが、例えば暗闇の中での白兵戦を考えたとき、防衛側にとっては“勝手知ったる”自陣営で行われるのに対し、攻撃側にとっては必ずしもそうではないため、クラウゼビッツは『戦争論』で、意外に戦術として採られることは少ないと述べている。代わりに、夜明けとともに攻撃を行う、いわゆる「払暁攻撃」がしばしば行われた。

人間夜行性ではないため、暗闇の中での行動には不慣れである。暗闇の中で視界を得るためには網膜桿状体が機能することが必要であり(暗順応)、これは暗闇に入ってから30分程度時間がかかる(日中の明るい光に晒され続けた場合は、より時間がかかる場合もある)。桿状体は網膜の周縁部に集中的にあるために、夜間で視力を得るためには対象物から少し視点をずらして見るという特殊な物の見方をする必要がある。また、夜間は暗いため眼の瞳孔が開き、カメラの絞りが開いたときと同じ原理で視力が落ちるといったことも起こる。移動においても、夜間は人間の感覚器官が鈍っているため疲労が蓄積しやすく、また障害物の有無や位置が確認しにくく、誘導が困難なために機動力が著しく低下する。誘導方法は地図コンパスGPSなどを用いる点は日中と変わらないが、得られる情報が日中に比べて少ないために意志決定や行動に時間がかかる。

夜間暗視装置(ナイトビジョン)やGPSが非常に発達した現代においても、夜戦は実行部隊にとってストレスの溜まる任務であり、危険度の非常に高いものであることは古来からほとんど変わっていない。それゆえに、防衛側の行う夜間の歩哨任務なども同様の理由で緊張感を強いられる。

また夜間には視認距離が短くなるため長射程兵器の有利が小さくなる上、航空機の運用も大きな制限を受ける。そのため視認距離の長い昼間には敵の長射程兵器や航空戦力に圧倒されるような不利な状況でも、夜に戦闘することで有効に戦える可能性がある。

なお、夜襲(奇襲)は卑怯であると考えられる場合があり、平安時代日本で起きた保元の乱では、源為朝が夜討ちを献策[注釈 2]するが、「皇位継承の争いで夜討ちを行うのは相応しくない」とした藤原頼長が却下したと言われる。これが事実だとすれば、この頼長の配慮が裏目に出て逆に後白河天皇方の夜襲を許したために敗北と自身の戦死を招いたことになる。インドの古代叙事詩『マハーバーラタ』には、敵味方双方の戦争当事者が戦いのルールを定めるにあたって、互いに夜襲はしないといったルールを定める場面があり、伝説であるが、古代においてもこのようなルールが実際に協議で定められたりすることがあった@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ことがうかがえる[独自研究?]。
夜戦を有利にする要素夜間の発射訓練を行う陸上自衛隊74式戦車夜間上陸の訓練を行う海上自衛隊
敵味方の識別
暗闇の中での作戦・戦闘となるため、敵味方を識別できないと同士討ちが発生する[注釈 3]。そのため、意図的に夜戦(夜襲)を行う場合は、敵味方を識別する工夫が求められる。また、隊形を維持することが夜戦においては極めて重要であり、同士討ちを避けるために隊形を堅持して行動し、一度射撃区域を命じられたら絶対に区域外に向けて発砲はせず、射撃区域を横切る場合には合言葉などで敵味方を識別する必要がある。壬申の乱で夜襲を仕掛けたと言われる田辺小隅の軍勢は合言葉で、河越城の戦いで夜襲を仕掛けた北条氏康の軍勢は白布を身に着けて[4]敵味方を区別したとされる。現代の戦闘では、戦闘機や戦車の敵味方識別装置や戦闘服 (ACU) の赤外線チップなどを装備して、昼夜を問わず同士討ちを防いでいる。
隠密行動・灯火管制
夜陰に紛れて作戦行動を行うため、自軍の動きを敵に悟られにくいように、無灯火に近い形で行動をすることがある。厳島の戦いでは、毛利元就の軍勢の夜間移動(厳島への渡航から山越え行軍)でかがり火(松明)を掲げることを禁じ、翌朝の奇襲を成功させている[5]上泉信綱伝の『訓閲集』(大江家兵法書を戦国風に改めた兵書)の「夜戦」の項目においても、「鉄砲火縄、光りて好まれず」とあり、火縄が燃焼するわずかな光ですら好まれなかった。日本陸軍の歩兵操典等の教範では、夜間に音響・音声を発しないことが求められ、さらに突撃に際しても、昼間とは異なり喚声を発しないこととされた。第二次大戦中の雲南省での日本軍と中国軍・米軍との戦いでは、日本軍の夜襲に対し、陣地の前面に燐剤を撒いて日本兵が忍び寄ってくれば発火・発光するようにする対抗策が取られたという。小火器などの小型の銃器では、フラッシュサプレッサーといった消炎装置が用いられている。現在でも[いつ基準での現在?]夜間に作戦行動をとる部隊の車両には、照明にカバーを付けたり下向きにしたりすることで灯火管制を行う。近年では[いつ基準での近年?]、赤外線を使った暗視装置への対策(赤外線ステルス)も進められており、日本の陸上自衛隊10式戦車の車両構造は赤外線対策のために最適化され、赤外線ステルス性が向上しているとされる[誰によって?]。
視界(正確な照準)の確保
人工的な光源が松明などに限られていた古来に比べ、サーチライト(探照灯)や照明弾が発明されると夜間戦闘の機会が増え始めた。日露戦争では、ロシア帝国軍は沿岸砲台に備えたサーチライトにて日本海軍を効果的に撃退している(旅順港閉塞作戦)。それでも、暗闇の中で敵を正確に狙うことは容易ではなく、ロシア帝国海軍オスマン帝国海軍遭遇戦となったトゥアプセ沖夜戦では、双方とも有効な艦砲射撃はできていない。さらに、第二次世界大戦レーダー暗視装置が実用化されると、さらに夜間の作戦行動が容易となった。陸上自衛隊の74式戦車はアクティブ型赤外線暗視装置を、90式戦車はパッシブ式熱線画像装置を搭載し、夜戦での射撃能力を高めている。第二次世界大戦期には夜戦に特化した戦闘機として夜間戦闘機も多数運用されていたが、レーダーの発達と普及により、現在では昼夜を問わずに戦闘機を運用できるようになったため夜間戦闘機の区分は消滅している。


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