夜半の寝覚
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寝覚物語絵巻

『夜の寝覚』(よるのねざめ)は、平安時代後期(後冷泉朝、11世紀後半ごろか)に成立した王朝物語である。
概要

『夜半の寝覚』『寝覚物語』『寝覚』などとも称する。作者については現在のところ確定的な説がないが、『更級日記』や『浜松中納言物語』の菅原孝標女であるとする説が有力である。

いわゆる源氏亜流小説のひとつに数えられ、途中に本文の大きな欠落があるなどの理由から、従来はあまり重視されてこなかったが、戦後、研究の進展や中村真一郎などによる王朝物語の再評価の機運にのって、広く注目を集めるようになった。登場人物たちの心理を克明に観察し、精緻な描写によって定着させてゆく独特な手法が特徴的であり、現在では中古後期を代表する作り物語として評価されている。14世紀の作かと思われる、改作本『夜寝覚物語』が現存する。

後述する第四部は長らく失われていたが、2014年京都市後光厳院を伝承筆者とする古筆切が発見された[1]2003年[2]以降、同種の古筆切が複数報告されており、第四部の資料ではないかとする説があったが、発見された切に『風葉和歌集』に引用される寝覚の上の歌(知らざりし……)が記されていたことにより、第四部の資料であることが確認された。同種の1葉(後光厳院を伝承筆者とする)は、放射性炭素年代測定によって南北朝時代(14世紀)の書写であることが判明している[3]。また、第四部の資料とされる古筆切には、他に慈円を伝承筆者とする切[4]が報告されている。
作者

作者については、藤原定家筆御物本更級日記の奥書に「ひたちのかみすかはらのたかすゑ/のむすめの日記也 母倫寧朝臣女/傅のとののははうへのめひ也/よはのねさめ みつのはままつ/みつからくゆる あさくら なとは/この日記の人のつくられたるとそ」という記述が見られることのほかに、拾遺百番歌合にも作者名注記があることから菅原孝標女ではないかという説が長らく定説とされてきた[注 1]。さらに戦後の寝覚研究のなかで『更級日記』と『浜松中納言物語』の関係に近似的要素が指摘される一方で『寝覚』はそのどちらとも似ない要素が多いことが明らかとなり、現在では別人の作とする説もあらわれている[注 2]。ただし『寝覚』の独自性は作者の趣向であるという考えかたに基づく論[注 3]もあり、いまだに孝標女作者説に一定の信憑性が認められることは事実であるといっていい。
伝本

諸本は五巻本と三巻本系統に分かれる。三巻本は財団法人前田育徳会尊経閣文庫本のみである。五巻本は島原松平文庫本をはじめとして天理図書館本、国会図書館本、東北大学本、静嘉堂文庫本、実践女子大本の計六本が現存しているが、いずれも中間と末尾に大きな欠巻を持つ[9][10]

島原松平文庫本

  近世初期?中期写か。肥前島原松平文庫蔵。国文学研究資料館電子資料館にてデジタル公開。袋綴。五巻。大本。

尊経閣文庫本

  近世初期写か。前田育徳会蔵。袋綴。三巻。大本。
粗筋

物語の中間部と巻末部に大きな散逸がみられ、現存本は原本の三分の一か二分の一の量である[11]。欠巻部の第二部・第四部の概略は『無名草子』、『拾遺百番歌合』、『風葉和歌集』、改作本『夜寝覚物語』5巻(鎌倉期の縮小改作とおもわれる中村秋香氏旧蔵本)、『寝覚物語絵巻』から推定されたものである。


第一部

太政大臣(後の入道)はを亡くし、四人の子供たちをすべて引き取って養育している。そのなかでも中の君は音楽の才能にすぐれ、を得意にしていた。その才能を天人も愛でたのであろうか、十三歳の十五夜の夜、天人が降臨して彼女に琵琶の秘曲を伝え、さらに翌年の十五夜にも彼女を訪れて、その数奇な運命を予言して去る。一方、女君の姉である大君は左大臣の長男中納言(以下男君)と婚約をしていたが、男君は乳母の見舞いに訪れた先で、ふとしたことから方違をしていた中の君と契ってしまう。男君は彼女を別人と混同したままにその場を立ち去っていくのだが、中の君は一夜の関係で中納言の子を身ごもり、相手をだれとも知らないまま懊悩する。何も知らないまま男君は大君と結婚したが、その後初めて中の君が大君の妹であることに気づき、中の君が生んだ姫君を人知れず引き取って、父左大臣のもとで養育する。しかし秘密は長続きせず、中の君との関係は妻大君の知るところとなり、ついにその結婚生活は破綻する。


第二部(現存せず)

中の君(以下寝覚の上)は心ならずも老関白と結婚することとなり、その直前に男君との逢瀬で再び身ごもる。しかし老関白は事実を知りつつも寝覚の上と生まれた男子(まさこ君)を愛し、寝覚の上もやがて寛大な夫に打ち解けていく。自分を遠ざけるようになった寝覚の上に、失意の男君は帝の妹女一宮に心を寄せ結婚、このため妻大君は悲嘆のあまり女子を出産後に亡くなる。やがて老関白も死去、寝覚の上は未亡人となった。


第三部

26歳になった寝覚の上は、老関白の長女が尚侍となったのに付き添い参内した際、帝に迫られるも拒み通す。この危機で寝覚の上は改めて男君への思慕を自覚、忍んできた男君と再び逢瀬をもったが、やがて女一宮の病床に寝覚の上の生霊が現れたとの噂が立った。打ちのめされた寝覚の上は父入道の元へ逃れ出家を願うが、慌てた男君は入道に過去の一切を打ち明けた。折しも寝覚の上の懐妊が明らかになり、男君は念願叶って寝覚の上を迎えとったが、彼女の物思いはその後も絶えなかった。


第四部(現存せず)

全巻がそろっていた時代の無名草子の作者の書評などから、母として生きる寝覚の上が書かれていたものと推量される。寝覚の上が幸福な結末を迎えたかそうでないか、論者によって意見が異なる。


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