夜ノ森駅
東口(2022年4月)
よのもり
Yonomori
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夜ノ森駅(よのもりえき)は、福島県双葉郡富岡町夜の森北にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である[1]。
歴史[ソースを編集]
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}大正初め、[要出典][3]日本鉄道の基本計画は富岡小良ケ浜から熊町(大熊町熊)を通って大野へ接続する路線が計画された[4]。また、当時川内村から産出される木材を輸送するために、富岡駅まで運ぶ必要があった。このため、上岡村(現・富岡町夜ノ森)周辺に住む但野芳蔵[5][6]を中心とした有志一同により、1907年(明治40年)頃からおおよそ2年に渡り、駅設置の請願がなされた[7]。但野は大正六年七月十五日から有志数人を連れて度々、東京鉄道管理局水戸運輸局[8]や東京の鉄道省へ請願に赴いている。但野、単独でも五十五回、東京へ赴いている[9]。合わせて、当地の憲政会代議士であった半谷清壽の助力もあり、駅敷地の寄付などの五条件を満たすことにより、当地への駅設置が許可された[7]。大正七年十月、許可が下りるまで実に一年三ヶ月の年月を経た。
駅の設置で一番の問題となったのが工費負担と蒸気機関車への水の供給である。但野は富岡川から熊川の範囲を自費で建設することと水を供給する井戸(現・夜ノ森駅駐輪場)、機関車に水を提供するための引込み線の提供を承諾し夜ノ森駅の建設の承諾をとりつける。但野が提供した人夫は1日1000人であった。
当初、誘致活動に熱心であった半谷は夜ノ森駅の道路建設に際して但野と対立し夜ノ森駅開発から完全に手を引く。1922年(大正11年)には夜ノ森駅開設に関わった殉職者のために慰霊祭が執り行われた。但野芳蔵の功績は夜ノ森駅駐車場に建てられた顕彰碑に刻まれている。
年表[ソースを編集]
1921年(大正10年)3月15日:鉄道省の駅として開業[10]。
1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道が発足。
1952年(昭和27年)8月5日:水戸鉄道管理局に移管される[11]。
1972年(昭和47年)10月2日:貨物の取扱を廃止[2]。
1984年(昭和59年)
2月1日:荷物扱い廃止[2]。駅員無配置駅となる[12]。
3月1日:国鉄合理化の一環として、駅業務を富岡町に委託する[11]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる[2]。
2011年(平成23年)3月11日:東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故により営業休止。
2016年(平成28年)11月:復旧工事のため構内の除染に着手。ツツジを伐採。
2018年(平成30年)6月:駅舎の老朽化に加え、除染後の放射線量が十分に下がらない可能性もあるため、解体再整備することを発表[新聞 1]。
2019年(平成31年・令和元年)
1月21日:駅舎の解体工事開始[13][新聞 2]。
12月18日:富岡駅 - 浪江駅間運転再開に向けて、設備確認等を行うための試運転列車の運行を開始[報道 1]。
2020年(令和2年)
3月10日:当駅周辺において設定されていた帰還困難区域の一部の避難指示を解除[新聞 3]。
3月14日:富岡駅 - 浪江駅間の運転再開に伴い営業再開[報道 2][新聞 4]。東京近郊区間に編入される[報道 3][報道 2]。ICカード「Suica」の利用が可能となる[報道 2]。東西自由通路及び新駅舎(橋上駅舎)の供用を開始[報道 4][新聞 5]。この日より終日無人駅となる[新聞 6]。
11月30日:旧駅舎を再現した待合室が完成[新聞 7]。
旧駅舎(2009年2月)
夜ノ森に駅と水利をもたらした但野芳蔵の顕彰碑(2009年6月)
駅構造[ソースを編集]
島式ホーム1面2線を有する地上駅である。簡易Suica改札機設置駅。
震災前は富岡駅管理の簡易委託駅で、実際には受託者の富岡町がJR水戸鉄道サービス(当時)に再委託していた。毎年5月のツツジの時期には日中時間帯に管理駅から富岡駅員が派遣され、ホームでの旅客整理に当たっていた。
駅舎は避難指示に伴い老朽化が進んだことや、除染後も線量が下がらない可能性から[新聞 8]、運転再開に当たって東西自由通路を設けた橋上駅へ改築[新聞 5][新聞 9]。