夜はクネクネ
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夜はクネクネ
ジャンル
紀行バラエティ番組
演出三村景一
出演者原田伸郎
角淳一
トミーズ雅
オープニング「ミーチャン GOING TO THE HOIKUEN」(スペクトラム
製作
プロデューサー大北禎昭
制作毎日放送

放送
放送国・地域 日本
放送期間1983年1月7日 - 1986年12月23日
放送時間金曜 23:40 - 24:35 (初期)
金曜 23:35 - 24:30 (中期)
火曜 23:45 - 24:40 (末期)
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『夜はクネクネ』(よるはクネクネ)は、1983年1月7日から1986年12月23日まで毎日放送MBSテレビ)で放送された紀行バラエティ番組[1]

略称は「夜クネ」で、後に『鶴瓶の家族に乾杯』などでも取り入れられている「『街ブラ』の源流」とされるオールロケ番組[2]。1983年日本民間放送連盟賞の審査で、開始直後(同年4月1日放送分)の内容が高く評価された末に、テレビ娯楽部門の最優秀賞を受賞している[3]
概要

出演者は原田伸郎と、主にラジオパーソナリティとして活動していた角淳一(出演の時点では毎日放送のアナウンサー)。第3回(1983年1月21日放送分)からは、当時NSC(吉本総合芸能学院)に在籍していた元・プロボクサーの北村雅英が、原田たちのボディーガードとして同行していた。もっとも、北村は基本として探検隊風の衣装で2人の後をついていくだけで、放送上ほとんど喋っていなかった。

番組の内容は、原田たちが関西各地の街へ繰り出し、行き当たりばったりで出会った一般人たちと取り留めもない話から突っ込んだプライベートな話までいろいろと雑談をしながらあちこちを練り歩くというものだった。

当番組は在阪テレビ各局の番組作りにも多大な影響を及ぼしていて、各局が深夜番組の自社制作へ本腰を入れるきっかけにもなった。「カメラマンが後方へ歩きながら原田と角を正面から撮影する」という画期的な技法(ドリーバック)が編み出されたこと[4]はその典型で、『毎日放送50年史』によれば、大北禎昭(技術畑出身のプロデューサー)のカメラワークに負うところが大きかったとされる。

『夜はクネクネ』という番組タイトルを付けたのは、構成作家のかわら長介である。かわらは後にこれを「やって良かった番組」の1つに挙げ、テレビ番組作りについて学んだと語っている。関西の番組制作者の間では「クネクネで」といえば行き当たりばったりのロケを指すようになっている[5]

番組は長らく金曜深夜枠で放送されていたが、1986年4月からは放送枠を火曜日の深夜帯へ移動。移動の前月(3月)には、第58回選抜高等学校野球大会ハイライト番組の放送などとの兼ね合いで14日から3週間にわたって当番組の放送時間を遅らせたため、金曜深夜枠における定時放送を7日で終了した。7日には、初回放送分のVTRからオープニングシーンを流した後に、初回と同じく大阪市中央公会堂前から始めたロケのVTRを放送。しかし、当番組は放送枠を移動してから9ヶ月後(1986年12月23日)に終了した。

毎日放送では当番組の終了後も、当番組が長らく編成されていた火曜日の深夜帯で、当番組と同じスタイルによる自社制作のオールロケ番組(『なにわ友あれ赤井英和』『ごぶごぶ』など)を2022年9月まで断続的に放送していた。2007年2月から編成されていた『ごぶごぶ』については、当該時間帯で『東大王』(TBSテレビ制作)の常時時差ネットを開始した2022年の10月改編から、放送枠を土曜日の午後に移している。
放送時間

時刻はいずれもJST

毎週金曜 23:40 - 24:35 (1983年1月 - 1984年4月) - 1984年4月6日放送分のみ23:39から放送。

毎週金曜 23:35 - 24:30 (1984年4月 - 1986年4月) - 直前の時間帯に編成されていたミニ番組枠が消滅したのに伴い、以後は5分繰り上げて放送。

毎週火曜 23:45 - 24:40 (1986年4月 - 1986年12月)

スタッフ・テーマ曲

構成 -
かわら長介 疋田哲夫 寺崎要 森田肇哉 倉本美津留

ディレクター - 三村景一

プロデューサー - 大北禎昭

テーマ曲 - ミーチャン GOING TO THE HOIKUEN (演奏:スペクトラム

BGM - めぐり逢いはすべてを越えて(NSP

製作著作 - 毎日放送

エピソード

「『街ブラ番組』『旅もの番組』の元祖」との評価が定着しているが、当時のディレクターが書き残したメモによれば、「スタジオを飛び出して撮る『出会いと音楽の番組』」というコンセプトの下で制作。「原田が『出会いの責任』・角が『別れの責任』を背負う」という役割の分担も為されていたという。実際には、1970年代の後半から放送の時点までに日本で流行していたポップスから数曲を、ロケ映像の随所でBGMに使用している。

1984年には、『
突然ガバチョ!』との合同企画として『ガバチョでクネクネ』を放送した。

日本各地の民放テレビ局で流れているローカル番組を全国へ紹介することを目的に、日本民間放送連盟の制作で1985年4月21日の「放送広告の日」(現在の「民放の日」)に民放テレビ全局で放送された特別番組では、当番組から一部の映像(オープニングシーンなど)が流れた。さらに、当番組のプロデューサーが『いやはやなんとも金曜日』(フジテレビ系列福井テレビが福井ローカル向けに編成していた生放送番組)のプロデューサーと対談するパートも設けられた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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