多楽島
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多楽島外交紛争のある諸島
現地名: Остров Полонского
主張国名: 多楽島

地理
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所在地太平洋
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度37分40秒 東経146度19分20秒 / 北緯43.62778度 東経146.32222度 / 43.62778; 146.32222座標: 北緯43度37分40秒 東経146度19分20秒 / 北緯43.62778度 東経146.32222度 / 43.62778; 146.32222
実効支配

 ロシア
サハリン州
都市管区 南クリル管区

領有権主張

 日本
都道府県 北海道
市町村 根室市

人口統計
人口0


昭和29年の色丹島歯舞群島(多楽島・海馬島志発島春苅茂尻島勇留島秋勇留島

多楽島(たらくとう)は、歯舞群島の島の一つである。多羅久島と表記される場合もある。ロシア名はパロンスキー島 (Остров Полонского)、英語表記はPolonskogo。

地名の由来は、アイヌ語の「トララ・ウク(皮紐・取る→皮紐を取る島)」が「トラク」に変化したことから。

かつてアイヌはアザラシの皮を割いて皮紐にしており、本島の北にある「トカリウシ(アザラシが多い所)」が島の名前と関連付けている。
地理

歯舞群島の中で最も北に位置し、最高部でも海抜30メートルであり、地形は平坦である。樹木の植生はほとんどない。戦前の人口は231世帯、1,457名。良港を有しないことから昆布漁を始めとする海藻採取が中心であった。牛馬の放牧も年中行われていた。
歴史

江戸時代には「周囲は514ほどで、平らだが中程は少し高い。の小木があるという。海岸は岩がちで、海産物が豊富なためアイヌが小屋を建てて、遅い時期までニシンを採っている」との記録がある[1]

1799年、ネモロ(根室)とアッケシ(厚岸)両場所のアイヌが立会い、秋勇留島などとともに双方の入会地となった[2]

明治時代からは珸瑶瑁村の一部となり、後に歯舞村に属した。


1945年ソ連軍侵攻し、占領

1959年、日本側は根室市の一部に編入する。

1991年ソビエト連邦の崩壊後に成立したロシア連邦実効支配を継承。

日本は領有権を主張しているが、現在もロシア連邦の占領・実効支配下にあり、ロシア沿岸警備隊が常駐している。戦後から現在まで無人島であると思われたが、2009年にロシア人が2007年から在住していることが判明した[3]

当該地域の領有権に関する詳細は千島列島及び北方領土の項目を、現状に関してはサハリン州の項目を参照。
脚注[脚注の使い方]^ 『蝦夷日誌』
^ 『場所境調書』
^「北方墓参早く自由に」 第4陣が多楽島から帰港(2009年8月27日付の北海道新聞の記事より)

参考文献

『北方領土地名考』
北方領土問題対策協会編、1978年

日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)

『北方領土関係資料総覧』 行政資料調査会北方領土返還促進部、1977年11月4日

関連項目

一爐庵
根室市にある菓子店。前身の早川菓子店が多楽島で「ひょうたんぱん」を販売。同製品は現在も製造販売され、旧島民などに愛好されている他、北方領土の日などに配布されることもある。 ⇒北海道日刊スポーツ新聞社記事


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