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多摩田園都市
ニュータウン
Tama Garden City
たまプラーザ駅付近に広がる住宅街
国 日本
都道府県東京都
神奈川県
市町村町田市
横浜市
川崎市
大和市
開発期間1959年 - 2000年
面積
? 合計(開発面積)
5,000 ha
多摩田園都市(たまでんえんとし)は、東京急行電鉄(現:東急および東急電鉄)の主導によって開発された、東急田園都市線の梶が谷駅 - 中央林間駅間の沿線地域を指す際に用いられる通称名[1]、広域地名[2]。総面積は約5000haで、東京都町田市を間に挟み神奈川県川崎市、横浜市、大和市の合計4市にまたがる。2017年3月末時点の人口は約62万人[3]。 鉄道新線(東急田園都市線)の建設と一体化した形で田園都市が開発された。一括代行方式、すなわち組合施工による土地区画整理事業を東京急行電鉄が一括代行するという方式で街づくりが行われた。 最初の土地区画整理事業地区として川崎市の野川地区で1959年から開発が行われ、2000年に開発が始められた川崎市の犬蔵地区に至るまで、40年以上にわたり合計55地区、総面積3204.3haの土地区画整理事業が行われた[4]。 土地区画整理事業が施行された区域には住宅地を主体とした街が広がっている。 なお、この開発事業は以下の受賞歴がある[4]。
概要
1987年 日本建築学会賞(業績賞) 受賞業績:「多摩田園都市 ?良好な街づくりの多年にわたる業績?」 受賞者:「東京急行電鉄 五島昇」[5]
1989年 都市緑化基金 緑の都市賞(内閣総理大臣賞) 作品名:「ランドスケープ・ミュージアム多摩田園都市」[6]
2002年 日本都市計画学会石川賞
理念田園都市株式会社本社 (現在の東京都目黒区洗足二丁目25番)[8]
田園都市はイギリス人都市計画家、エベネザー・ハワードがその著書『明日の田園都市』で提唱したもので、ハワードの思想はヨーロッパで20世紀の都市づくりや集合住宅の設計などに大きな影響を与えた。明治財界の大御所で、子爵渋沢栄一は数回の欧米視察で田園都市の必要性を感じ、1915年、パナマ運河開通記念万国博覧会に出席のため渡米前に、田園都市作りの企画検討を始めた。
米国からの帰国後、渋沢栄一は営利活動から身を引いたが、ことあるごとに田園都市構想を説き、1918年に計画ができた。渋沢栄一らが1918年に田園都市株式会社を設立し、引退していた栄一に代わり、翌年、その息子の秀雄が田園都市会社の支配人となった。秀雄はハワードの考えに基づいて作られたイギリスの町、レッチワースを訪れるなど計画の具体化に向け邁進し、秀雄の海外で学んだ理想も田園都市の中に多く反映され、理想的な住宅地「田園都市」として1922年に洗足田園都市の分譲を開始した。またその地の足の便の確保のために鉄道子会社(後の東急電鉄)も設立した[9]。