多摩田園都市
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たまプラーザ駅付近に広がる閑静な住宅街

多摩田園都市(たまでんえんとし)とは、東京急行電鉄の主導によって開発が行われた、東急田園都市線梶が谷駅-中央林間駅間の沿線地域を指す際に用いられる通称名である[1]。総面積は約5000haで、東京都町田市を間に挟み神奈川県川崎市横浜市大和市の合計4市にまたがる。2017年3月末時点の人口は約62万人[2]
目次

1 概要

2 理念

3 立地

4 都市建設方式

4.1 一括代行方式による土地区画整理事業

4.2 チャンネル開発方式

4.2.1 拠点の設置

4.2.2 緑地の整備


4.3 開発上の問題点


5 開発の経緯

5.1 開発予定区域の変遷

5.1.1 城西南地区開発構想

5.1.2 多摩川西南新都市計画

5.1.3 第4ブロックの設定


5.2 モデル地区の開発

5.2.1 野川第一地区

5.2.2 荏田第一地区

5.2.3 恩田第一地区


5.3 ペアシティ計画の策定

5.4 田園都市線の開業

5.5 アミニティプラン多摩田園都市

5.6 多摩田園都市21プラン


6 現状と課題

7 周辺自治体との関係

7.1 川崎市

7.2 横浜市

7.2.1 学校問題

7.2.2 横浜市営地下鉄乗り入れ問題


7.3 町田市

7.4 大和市


8 田園都市線の建設

9 この地域を舞台とした作品

10 参考文献

11 脚注

11.1 注釈

11.2 出典


12 関連項目

13 外部リンク

概要

鉄道新線(東急田園都市線)の建設と一体化した形で田園都市が開発された。一括代行方式、すなわち組合施工による土地区画整理事業東京急行電鉄が一括代行するという方式で街づくりが行われた。

最初の土地区画整理事業地区として川崎市の野川地区で1959年から開発が行われ、2000年に開発が始められた川崎市の犬蔵地区に至るまで、40年以上にわたり合計55地区、総面積3204.3haの土地区画整理事業が行われた[3]

土地区画整理事業が施行された区域には住宅地を主体とした街が広がっている。

なお、この開発事業は以下の受賞歴がある[3]

1987年 日本建築学会賞(業績賞) 受賞業績:「多摩田園都市 ?良好な街づくりの多年にわたる業績?」 受賞者:「東京急行電鉄 五島昇」[4]

1989年 都市緑化基金 緑の都市賞(内閣総理大臣賞) 作品名:「ランドスケープ・ミュージアム多摩田園都市」[5]

2002年 日本都市計画学会石川賞 作品名:「東急多摩田園都市における50年にわたる街づくりの実績」 受賞者:「東京急行電鉄株式会社」[6]

理念 田園都市株式会社本社 (現在の東京都目黒区洗足二丁目25番)[7]

田園都市イギリス人都市計画家、エベネザー・ハワードがその著書『明日の田園都市』で提唱したもので、ハワードの思想はヨーロッパ20世紀の都市づくりや集合住宅の設計などに大きな影響を与えた。明治財界の大御所で、子爵渋沢栄一は数回の欧米視察で田園都市の必要性を感じ、1915年大正4年)、パナマ運河開通記念万国博覧会に出席のため渡米前に、田園都市作りの企画検討を始めた。

米国からの帰国後、渋沢栄一は営利活動から身を引いたが、ことあるごとに田園都市構想を説き、1918年(大正7年)に計画ができた。渋沢栄一らが1918年に田園都市株式会社を設立し、引退していた栄一に代わり、翌年、その息子の秀雄が田園都市会社の支配人となった。秀雄はハワードの考えに基づいて作られたイギリスの町、レッチワースを訪れるなど計画の具体化に向け邁進し、秀雄の海外で学んだ理想も田園都市の中に多く反映され、理想的な住宅地「田園都市」として1922年大正11年)に洗足田園都市の分譲を開始した。またその地の足の便の確保のために鉄道子会社(後の東京急行電鉄)も設立した。[8] 下記の洗足田園都市の理念は後年の多摩田園都市など東急グループによる都市開発にも継承されている[9] 


田園都市株式会社が意図した構想は、同社のブローシャー『田園都市案内』(大正12年1月)に見ることが出来る。

「さり乍ら都市集中の趨勢激しき今日大都市を離れて生活資料を自給し得る新都市を建設するのは至難の事であります。故に一方に於いて大都会の生活の一部を為すと共に他方に於いて文明の利便と田園の風致とを兼備する大都市付属の住宅地ありとせば如何に満足多きことでありませう。此の目的に添ふ住宅地の要件としては私共は凡そ次のことを要求したいと思ひます。

土地高燥にして大気清純なること。

地質良好にして樹木多きこと。

面積は少くとも十万坪を有すること。

一時間以内に都会の中心地に到達し得べき交通機関を有すること。

電信、電話、電燈、瓦斯水道等の設備完整せること。

病院、学校、倶楽部等の設備あること。

消費組合の如き社会的施設をも有すること。

右の如き住宅地を単に郊外市と呼捨てるのは餘りに物足りなく思ひます。天然と文明、田園と都市の長所を結合せる意味に於て同じく田園都市と呼ぶも強ち不當ではあるまいと思ひます。」

土地柄としては「文明の利便と田園の風致」「天然(自然)と文明」「田園と都市の長所を結合せる」ことはうたわれているが、ロケーションについてはあくまで「大都市付属の住宅地」「一時間以内に都会の中心地に到達し得べき交通機関を有すること」と初めからなっている。


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