多摩急行
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東京メトロ16000系の多摩急行
(2016年2月)JR東日本E233系2000番台の多摩急行
(2018年1月)

多摩急行(たまきゅうこう、Tama Express)は、かつて運転されていた小田急電鉄列車種別急行列車)の一種である。2002年[1]から小田原線多摩線で設定されていたが、2018年に廃止された[2]
背景・概要

千代田線乗り入れの主たる目的は本来「多摩ニュータウン地区と都心地域との連絡路線」であった(東京メトロ千代田線参照)。これまで、小田急電鉄が所要時間や乗り換えの利便性などで圧倒的に不利であった多摩ニュータウン地区対都心地域の輸送で、競合する京王相模原線都営地下鉄新宿線に対抗する形となっていた。

2005年の一時期に、多摩急行を使った沿線施設への誘致作戦として、「多摩急行でサンリオピューロランドへ行こう」という宣伝ポスターを製作し、沿線や東京地下鉄(東京メトロ)の駅などに掲示していた。

2018年3月17日ダイヤ改正をもって廃止された[2]
運行時間減少の背景

2016年3月26日まで朝方上り方面を除く全ての時間帯で多摩急行は運転されていたが、急行停車駅でありながら多摩急行は通過する向ヶ丘遊園駅利用者から多摩急行の停車要望が相次いだこと、日中快速急行と合わせると優等列車が20分来ないことも含め、2016年3月26日のダイヤ改正以降は日中の多摩急行は急行に変更され、これ以外の時間帯での運転となった。

栗平駅を出て自動放送で新百合ヶ丘駅を案内した後に乗務員から「向ヶ丘遊園には止まりません」とのアナウンスが行われていた。反対に登戸駅を案内した後も同様にアナウンスがされていた。詳細は「向ヶ丘遊園駅#多摩急行の問題」を参照
運行形態ダイヤが乱れた場合、多摩急行は新宿行となることがあった。

多摩線唐木田駅から小田原線を経由し東京メトロ千代田線綾瀬駅まで、もしくは綾瀬駅より東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐緩行線に乗り入れ松戸駅柏駅我孫子駅取手駅まで運行されていた。2016年3月26日のダイヤ改正以前は、綾瀬駅から先のJR線へは小田急4000形は直通することができなかったため、常磐緩行線まで運行する電車はすべて東京メトロの車両で運行されていた。後にJR(E233系2000番台)による小田急への直通運転も行われ、小田急4000形もJR線へ直通していた。

設定当初は、多くが湘南急行(下り)や急行(上り)の直後に運行されるダイヤ編成で列車間隔が不均等であったため、特に(急行・湘南急行が通過していた経堂駅以外の)小田原線内の利用者が少なかった。しかし、2004年12月11日のダイヤ改正より長距離輸送の速達性を重視した快速急行の新設に伴い急行が減便された成城学園前駅および登戸駅利用者の補完作用も果たすこととなり、小田原線内でも急行の一翼を担うこととなった。同ダイヤ改正より2016年3月25日までは、昼間時間帯の新百合ヶ丘駅では、下りは多摩急行から快速急行へ、上りは快速急行から多摩急行へと乗換が可能となっていた。その一方で、多摩急行が通過する駅では唯一の急行停車駅である向ヶ丘遊園駅については停車していた湘南急行の快速急行への置き換えにより完全な減便となり、昼間時間帯の優等列車は急行4本のみとなっていた。

小田急線・千代田線・常磐線のいずれかでダイヤが乱れた時には運休もしくは行先が新宿駅に変更され、千代田線への直通運転は中止された。千代田線・常磐緩行線の運転再開に比べ、多摩急行の運転再開までは時間がかかることが多く、夜間時間帯では直通運転が再開されずに終電を迎えることも多々見られた。

運転トラブルに備え、東京メトロ16000系電車とJR東日本E233系電車には「新宿」の行先が用意されていた。

2014年3月15日のダイヤ改正で、日中の千代田線内が5分間隔となったことに伴い、平日・土休日ともに日中はすべて常磐線内発着となった。このため、日中は東京メトロの車両のみが運用に就き、小田急4000形は千代田線内での運用に就くようになった。

2016年3月26日のダイヤ改正から、日中の運転系統はそのままで種別が急行(向ヶ丘遊園駅にも停車)に置き換わるのに伴い、本種別はこれ以外の時間帯(平日・土休日問わず)での運転となった[3]。また同改正からJR、東京メトロ、小田急の3社の車両が各社の路線に相互直通することが可能になりJRの車両が運用に加わった。
使用車両

ともに相互乗り入れを前提としているため、地下鉄乗り入れ車両が充当されていた。
小田急電鉄

4000形

東京メトロ

16000系

東日本旅客鉄道(JR東日本)

E233系2000番台 - 2016年3月26日のダイヤ改正より乗り入れ開始。

なお、JR東日本の209系1000番台は小田急線への乗り入れが非対応であるため、多摩急行で使用されることはなかった。
過去の使用車両
小田急電鉄

1000形2002年3月23日 - 2010年

東京メトロ

06系 (2002年3月23日 - 2015年)

6000系 (2002年3月23日 - 2017年


東京メトロ06系

東京メトロ6000系(小田急線内撮影)

小田急4000形(画像は快速急行)

千代田線・小田急線直通列車について

1978年昭和53年)3月31日、当時の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)千代田線全線開業に伴い千代田線 - 小田急線相互乗入が開始された。当時は乗り入れ対応車両が6編成しかなかったため、1日上下ともわずかに14本、平日の朝夕のみの乗り入れであった。小田急線内は「準急」として設定され、折り返し設備上の問題からすべて本厚木駅発着であった。なお、経堂駅はホームの長さが8両編成分しかなかったため、10両編成の直通列車は例外的に通過となった。1990年までは、これ以外にも運用の都合上で生田駅読売ランド前駅百合ヶ丘駅を通過するものもあった。その後、休日の乗り入れや経堂駅停車が実現したものの、2000年12月1日までは朝夕が中心で日中はほとんど運転されなかった。12月2日のダイヤ改正から直通準急が大幅に増発され、朝夕に加え日中時間帯についても千代田線内 - 相模大野駅間で30分間隔での設定となった。


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