各地に存在する「玉川駅」とは異なります。
多摩川駅(たまがわえき)は、東京都大田区田園調布一丁目にある、東急電鉄の駅である。
乗り入れ路線
東急電鉄
東横線 - 駅番号は「TY09」
目黒線 - 駅番号は「MG09」
東急多摩川線 - 駅番号は「TM01」[1]
線路名称上で当駅に乗り入れているのは、東横線と東急多摩川線の2路線である。ただし東横線には、田園調布駅 - 日吉駅間の複々線を利用して目黒線の列車も乗り入れており、それぞれ別路線として案内されている。そのため、当駅は東横線・目黒線・東急多摩川線の3路線の接続駅として案内されている[注 1]。
歴史
1923年(大正12年)3月11日 - 目黒蒲田電鉄・目黒 - 丸子駅(現・沼部)間開通と同時に多摩川駅として開業[2]。
1926年(大正15年)
1月1日 - 目黒寄りに移転し、駅名を丸子多摩川駅に改称[3][2][4]し、3面4線の駅となる[5]。
2月14日 - 東横線が開業する[4][5]。
1931年(昭和6年)1月1日 - 近くにある「多摩川園遊園地」の名前を取って駅名を多摩川園前駅に改称[4][5]。
1935年(昭和10年)7月 - 構内踏切が廃止となり、地下道になる[4]。
1977年(昭和52年)12月16日 - 駅名を多摩川園駅に改称[4][5]。その多摩川園遊園地は1979年(昭和54年)6月に閉園した[2]。
1988年(昭和63年)11月 - 田園調布 - 多摩川間改良工事に着手[6]。
1994年(平成6年)11月27日 - 目蒲線が地下ホームの使用を開始[7]。
1995年(平成7年)12月17日 - 東横線上りが高架ホームに切り替わる[7]。
1996年(平成8年)2月4日 - 東横線下りが仮設ホームから本設高架ホームに切り替わる[8]。同日から目蒲線地下ホームが1・2番線、東横線の地上仮設ホームが3・4番であったものを、現行の東横線地上ホームを1・4番線(2・3番線は未共用)、目蒲線地下ホームを5・6番線に変更した[9]。
1997年(平成9年)
1月14日 - 駅務室ならびに改札口を本設に切り替え[10]。
6月 - 改良工事が完成[6]。
2000年(平成12年)8月6日 - 目蒲線の目黒線・東急多摩川線への分割とともに、駅名を再び多摩川駅に改称[11][12]。東横線の急行停車駅となる[12]。
駅舎改良「東急目蒲線」も参照
1988年11月から1997年6月にかけて、東横線複々線化事業[13]の一環として田園調布 - 多摩川(旧・多摩川園)間改良工事[14]が行われた[6]。それに伴い、当駅についても駅舎の大規模改造工事が行われた。閑静な住宅街の中での工事で夜間工事はできないため、長期にわたる難工事となった。
改良工事前までは開業当時からの駅舎であり、改札口は現在の南口にしかなかった[5]。現行の駅舎は旧駅の面影を全く留めていない。東横線と目蒲線は別線で、田園調布と多摩川(当時・多摩川園)の両駅間の土塁を複々線で走っており、田園調布駅とともに3面4線の形態であったが、改良工事着手後は2面4線に改められた。目蒲線は当駅から沼部方面になだらかに坂を下って多摩川第一踏切で平面となり、駅を出てすぐの所に多摩川園への入口となるコンクリート製のガードがあった。東横線は横浜方面のホームが多摩川橋梁への急カーブにかかっており、下り横浜方面の線路はホームと車両が離れているのでカントが付けられず、上り線よりカーブが外側にも位置するにもかかわらず駅を通過する急行は徐行運転を余儀なくされていた。また上り線は最後尾車両が傾いたまま停車するため、朝ラッシュ時にはドアが開くと人が降ってくるような状況で、いずれにせよ乗降に危険な駅であった。
複々線化事業に伴い目蒲線は当駅で分断され、目黒方面は東横線と同方向・同一ホーム2面4線の高架ホームとして50mほど田園調布寄りに移動して急曲線ホームを解消させた他、蒲田方面は新たに1面2線の地下ホームでの営業となった。目蒲線の地下への線路付け替え工事は終電後始発電車までの間に行われ、一夜にして切り替わった。
また、多摩川橋梁の所で交差する東京都道11号大田調布線(多摩堤通り)のガードの高さが3.3mしかなく、トラックが衝突して死亡事故も発生していたため嵩上げされ、当駅も旧駅より高くなった。
当初は田園調布駅とともにエレベーターを設置する予定はなかったが、地元住民の運動により設置が決定され、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}その後の日本の鉄道駅の本格的なバリアフリー化の嚆矢となった。