.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}多岐川 恭(たきがわ きょう)
誕生 (1920-01-07) 1920年1月7日
福岡県八幡市(現・北九州市)
死没 (1994-12-31) 1994年12月31日(74歳没)
職業小説家
推理作家
言語日本語
国籍 日本
最終学歴東京帝国大学経済学部卒業
ジャンル推理小説
時代小説
主な受賞歴直木三十五賞(1958年)
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多岐川 恭(たきがわ きょう、1920年1月7日 - 1994年12月31日[1])は、日本の小説家・推理作家。本名、松尾 舜吉[2]。福岡県八幡市(現・北九州市)生まれ。東京帝国大学経済学部卒業[3]。
毎日新聞社西部本社に勤務する中、白家太郎(しらが たろう)の筆名で小説を書く。1958年、『濡れた心』で江戸川乱歩賞、『落ちる』で直木賞を受賞。本格物からSF、時代ミステリーまで、多数の作品を発表した。また「ゆっくり雨太郎捕物控」などの時代小説もある。 1920年1月7日、福岡県八幡市に生れた。従兄に戸川幸夫がいる[4]。旧制第七高等学校を卒業し、東京帝国大学経済学部在学中の1944年に召集を受ける。戦後、横浜正金銀行の東京本店(現在の東京銀行、後の三菱UFJ銀行)に入行するが、食糧事情を理由に門司支店に転任。一時小説家を目指し退職するも、毎日新聞西部本社に再就職する。資料課の後に報道部に異動。激務のため転勤を願い出て、小説を書く時間を得た。 白家(しらが)太郎の筆名で『宝石』に応募し、1954年に「みかん山」が佳作入選し、デビュー。1956年に再び短編懸賞に応募し、「落ちる」「黄色い道しるべ」がそれぞれ2位と佳作に入選。1958年には河出書房の「探偵小説名作全集」の別巻として公募された新人の書き下ろし長編に「氷柱」を投じ、次席入選した。しかし同書房が破綻し、第一席入選の仁木悦子『猫は知っていた』は江戸川乱歩賞にまわされたが、「氷柱」の刊行は同書房の復活まで延期され、1958年に多岐川恭の筆名で刊行された。同年『濡れた心』で江戸川乱歩賞。さらに短編集『落ちる』で直木賞を受賞した(ただし実際に選考対象となったのは「落ちる」「ある脅迫」「笑う男」の3短編)。
経歴