多和田 真三郎六花亭軟式野球部 #21
2018年2月9日 春季キャンプ
基本情報
国籍 日本
出身地沖縄県中頭郡中城村
生年月日 (1993-04-13) 1993年4月13日(31歳)
身長
体重182 cm
82 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2015年 ドラフト1位
初出場2016年5月14日
最終出場2019年8月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
沖縄県立中部商業高等学校
富士大学
埼玉西武ライオンズ (2016 - 2021)
六花亭(軟式)
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。
獲得メダル
男子 野球
日本
アジア プロ野球チャンピオンシップ
金2017
多和田 真三郎(たわた しんさぶろう、1993年4月13日 - )は、沖縄県中頭郡中城村出身[1]の元プロ野球選手(投手、右投右打)。 津覇小学校1年生の時に津覇少年野球クラブで野球を始め、4年生から投手になった[2]。中城中学校では軟式の野球部に所属した[1]。 中部商業高校では1年生の秋にベンチ入りし、2年生の秋にはエースとなったが3年生の全国高等学校野球選手権沖縄大会の決勝戦で糸満高校[3]に敗れ準優勝となったのが最高成績だった[4]。 富士大学では、1年生の春季から登板[2]。2012年11月11日、第43回明治神宮野球大会2回戦国際武道大学戦で、1年生では史上2人目、大会史上4人目のノーヒットノーランを達成した[5]。3年時の2014年8月30日、北東北大学野球秋季リーグのノースアジア大学戦で、これまでのリーグ1試合奪三振記録17を上回る18奪三振を記録した[6]。同年11月14日、第45回明治神宮野球大会1回戦創価大学戦に先発登板したが3回2/3を投げて7失点でチームは2-9でコールド負けした[7]。4年時の2015年、春季リーグの終盤で右肩腱板に炎症を起こし、6月に行われた第64回全日本大学野球選手権大会および秋季リーグには登板しなかった[8]。北東北大学野球リーグでは1年秋季に最優秀防御率賞と最優秀選手賞、2年春季に最優秀選手賞・秋季に優秀選手賞、3年秋季と明治神宮野球大会第6回東北地区代表決定戦でそれぞれ最優秀選手賞を受賞した。ベストナイン(投手)には2年春季、3年秋季、4年春季に選ばれている[9][10]。大学通算で46試合に登板、316回1/3を投げ、32勝8敗、防御率1.08だった[11]。また、当時のリーグ新記録の299個の通算奪三振を記録した[8]。なおリーグ通算最多奪三振は後に橋優貴により301に更新された。 2015年10月12日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから1巡目で指名を受け[12]、契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で合意し、入団[13]。背番号は「18」に決まった[14]。ドラフト前に西武が1位指名を明言し公表したが、1位指名選手を明言したのは2014年の橋光成に続き2年連続だった[15]。また、富士大学からドラフトで西武へ入団したのは2013年入団の山川穂高、2014年入団の外崎修汰に続き3年連続となった。 2016年1月に行われた新人合同自主トレの投球練習で大学4年生時に右肩を痛めて以来、247日ぶりに投球を行った[16]。5月14日に出場選手登録され[17]、同日の対北海道日本ハムファイターズ戦でプロ初登板・初先発し、1回0/3を投げ被安打3、奪三振1、与四球3、自責点4で敗戦投手になった[18]。2回に無死満塁から三者連続押し出し四球を記録したが、新人選手が初登板で三者連続押し出しを記録したのは1940年に小野寺洋が記録して以来2人目のことだった[19]。6月19日、対東京ヤクルトスワローズ戦に8番・投手で先発出場し、5回を投げ5失点でプロ初勝利を挙げた[20][21]。7月14日に行われたフレッシュオールスターゲームでイースタン・リーグの選抜メンバーに選ばれ、5回裏に4番手で登板し1回を投げ無失点だった[22][23]。8月11日の日本ハム戦では先発登板して9回を投げ被安打3、奪三振8、与四球1、無失点の成績で初完投・初完封勝利を挙げた。なお、この年の新人選手の中では一番初めの完封勝利だった[24][25]。 2017年は右肩違和感の影響もあり、16試合の登板に終わり5勝5敗、防御率3.44だった。オフの10月12日に第1回アジア プロ野球チャンピオンシップの日本代表に選出された[26]。
経歴
プロ入り前
西武時代