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出典検索?: "外満洲" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2015年10月)
東北三省(濃い赤)、東四盟+旧熱河省(赤)、外満洲(薄い赤、ロシア極東の一部)
外満洲(がいまんしゅう、英: Outer Manchuria)は、満洲地域のうち、1858年のアイグン条約と1860年の北京条約で、清からロシア帝国に割譲された部分である。北満洲(きたまんしゅう)ともいい、中国では外東北と呼ばれる。 広さは約100万平方キロメートルに達する。外満洲という地域は外興安嶺(スタノヴォイ山脈)以南・黒竜江(アムール川)以北・ウスリー川以東の地域を指し、今日のロシア連邦の沿海地方、アムール州、ユダヤ自治州、およびハバロフスク地方南部に相当する。外満洲に対し、単にかつて「満洲」と呼ばれていた中国領の中国東北部を「内満洲(Inner Manchuria)」と呼ぶこともある。 1689年のネルチンスク条約によって、ロシアと清の国境は外興安嶺(スタノヴォイ山脈)とアルグン川となり、外満洲も含めた満洲全体が清に属することになった。しかしアイグン条約と北京条約により、国境線はロシアに有利となるよう、アムール川とウスリー川に変更された。結果として清は外満洲を失い、日本海への出口を失った。 1972年にソビエト連邦はこの地域に残る地名のうち中国語や満洲語由来のものをいくつか改名させた(例:テチューヘ→ダリネゴルスク)。しかし今日でも、大きな地名に満洲人の支配の跡が残っている。例えば海岸沿いの大きな山脈であるシホテアリン山脈(Shikhote Alin、錫赫特山脈)をはじめ、斗色山脈、ヤムアリン山脈(Yam Alin、楊山脈)、ミャオチャンアリン山脈(Miao-Chan Alin)、イルフリアリン山(Ilkhuri Alin、伊勒呼里山)、ハンカ湖(Khanka、興凱湖)、ウスリー川(Ussuri、烏蘇里江)、大興安嶺山脈(大ヒンガン、Great Khingan)、小興安嶺山脈(小ヒンガン、Little Khingan)などは満洲語などの言語の名残を残した地名である。
概説
地名アムール川流域と支流の経路。アムールの北側、およびウスリー川の東側が外満洲「1972年の極東ロシア地域における地名変更」も参照