夏石番矢
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夏石番矢
誕生
1955年7月3日
日本兵庫県相生市菅原町
職業俳人評論家明治大学教授
最終学歴東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化博士課程中退(文学修士)
ジャンル俳句、評論
主な受賞歴現代俳句協会賞(1991年)モンゴル作家協会最高賞(2015年)
デビュー作

俳句「足とめて見るは梅雨のうなる川」(1970年) 句集『猟常記』(1983年)
配偶者鎌倉佐弓
影響を受けたもの

高柳重信 フランス・シュルレアリスム

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夏石 番矢(なついし ばんや、1955年7月3日 - )は、日本俳人明治大学法学部教授(専攻は比較文学)。本名:乾 昌幸[1]

妻は俳人の鎌倉佐弓。同じく俳人の乾佐伎は娘。兵庫県相生市生まれ。埼玉県富士見市在住。

20代より「俳句研究」「俳句評論」「未定」などで俳句・俳論を発表。代表句として「未来より滝を吹き割る風来たる」[2]「神々のあくびが桜を枯らすのか」[3]など。多数の著書があり、句集では1冊ごとに新しいスタイルを試みる前衛俳人である[4]

1998年、国際俳句雑誌「吟遊」を創刊しその発行者・編集者・代表を務める。既成俳壇、とくに角川俳壇をさまざまな理由から拒否し[5] [6]季語以外に活路を見出すキーワードの提唱やコスモロジー的俳句観[2]、多言語俳句朗読、楽器演奏とのコラボレーションによる俳句朗読の実践など、国際的視野に立った活動を展開。また2000年に世界俳句協会を創立し、世界各国の詩人や俳人との交流、俳句翻訳などを通じ「世界俳句」を目ざしている。
経歴

1955年7月3日、兵庫県相生市菅原町に生まれる。父乾萬吉、母みよ子(旧姓は丸山)の長男。姉が二人。1968年相生市立双葉小学校を卒業し、淳心学院中学校入学。1974年淳心学院高等学校卒業し、東京大学文科III類入学。

東大時代には東大学生俳句会のほか東大能狂言研究会観世会にも所属し[7][8][9]「かんぜびと」第二代編集長を務めた[10][11]

1979年東京大学教養学部フランス科卒業。卒論はフランス語で書いたロートレアモン論、指導教官は阿部良雄。79年入学の東京大学大学院へ80年末提出の修士論文「短詩型の比較文学論」で翌81年修士の学位を取得、指導教官は芳賀徹。1984年同大学院比較文学比較文化博士課程修了。

1984年埼玉大学教養学部専任講師となり、1987年助教授、1987年明治大学法学部のフランス語講座助教授、1992年より教授。1996年から1998年まで、パリ第7大学客員研究員。2010年東京大学文学部で「世界の俳句」を講じる[12]

句作は14歳から始め、学習雑誌「中三コース」の金子兜太選に入選。淳心学院高校時代、俳誌「歯車」「天狼」などに投句。東大時代より前衛俳人高柳重信を師と仰ぐ。二十代のとき、高柳編集の「俳句研究」で論と作を活発に発表。坪内稔典編集「現代俳句」(南方社)にも寄稿。八木三日女主宰「花」同人。高柳重信・赤尾兜子代表「俳句評論」同人。所属した東大学生俳句会では機関誌「原生林」にも寄稿、第17号を編集(1977年10月)[13]。1978年俳句季刊誌「未定」創刊発案者の一人、初代編集長を創刊号から第14号まで務め、第38号?第47号発行人、第54号で退会。1983年、東大大学院生時代に出版した処女句集『猟常記』を、詩人の吉岡実[14]、評論家の四方田犬彦らによって高く評価される。1986年?1991年「俳句空間」創刊号?第16号の編集委員として参加。1990年から1992年まで「熊野大学」に協力し、最晩年の中上健次と親交を結ぶ。『楽浪』(書肆山田、1992)は、急逝した中上健次に捧げた句集である。1992年四方田犬彦石井辰彦と第一次「三蔵」創刊、1995年刊の終刊号(第6号)まで発行人。

1998年鎌倉佐弓らと「吟遊」創刊、発行人。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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