夏目公一朗
[Wikipedia|▼Menu]

なつめ こういちろう
夏目 公一朗
生誕 (1951-01-16)
1951年1月16日(73歳)[1]
国籍 日本
出身校武蔵野美術大学中退[2][著書 1]
職業実業家
アニメプロデューサー
テンプレートを表示

夏目 公一朗(なつめ こういちろう、1951年昭和26年〉1月16日[1] - )は、日本実業家アニメプロデューサー。一般社団法人アニメジャパン副理事長[3]、株式会社アニプレックススーパーバイザー[2]、株式会社KADOKAWA映像事業局戦略アドバイザー[2]

アニプレックス取締役会長、同代表取締役社長などを歴任[1]
来歴

1951年(昭和26年)1月16日生まれ[1]武蔵野美術大学中退[2][著書 1]。大学では工芸・工業デザインを専攻し[4][著書 2]、当時、大学の主な就職先が自動車メーカー家電メーカーだったことから[著書 2]、夏目もはじめは自動車時計家具といったメーカーに就職することを考えていた[4]。そんな折、ファッションデザインに興味を抱き[4]、当時山本寛斎ファッションデザイナーとしてロンドンパリで活躍していたことから山本に弟子入りし、材料の仕入れや百貨店に納品する仕事などを担当した[4][著書 2]。その後、キデイランドの宣伝部に勤めていた大学時代の先輩からの誘いで、キデイランドに入社し、そこで2年ほど勤務しているうちに、デザイナーとしての才能に限界を感じ、ファッションデザイナーに見切りをつけ、ビジネスの基礎を身につけるためにキデイランド原宿の1階ショップを担当するようになった[4][著書 2]。そこで夏目は、売り場にも立ちつつ、仕入れや販売、売り上げの管理などを担当し、部門の責任者も務めた[4][著書 2]。また、当時『Made in U.S.A. Catalog』や『POPEYE』といった雑誌が創刊されたこともあって、夏目はアメリカの影響を受けてアメリカ関連の商品を仕入れるようになり、そこでミッキーマウスDCコミックスのグッズを知り、キャラクターがビジネスになると認識するようになった[4][著書 2]。その後、ソニー・ミュージックエンタテインメント(以下、ソニー・ミュージック)グループ内にキャラクタービジネス部門が発足し、その中の企画、営業、マーケティングの中途採用があったため、当時の同僚と一緒に受けることとなり、採用された[4][著書 2]。そこで3年間営業を担当したのち、マーケティング部門や企画制作部門で勤務し、キャラクターグッズの企画・製造・販売に携わった[4][著書 2]

その後、グループ内の企業での勤務やソニー本社の商業施設プロジェクトなどを経て[4][著書 2]、ソニー・ミュージックの経営企画部門に異動[4][著書 2]。当時アニメ部門が『るろうに剣心』以来ヒット作がなく低迷していたことから、夏目は部門を蘇生させるための突破口をまとめたレポートを会社に提出したところ、後のアニプレックスとなるアニメ部門を担当することとなった[著書 2]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:90 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef