夏樹静子
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夏樹陽子」とは別人です。

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誕生五十嵐 静子
(1938-12-21) 1938年12月21日
日本 東京都
死没 (2016-03-19) 2016年3月19日(77歳没)
日本 福岡県福岡市
職業小説家
推理作家
言語日本語
国籍 日本
最終学歴慶應義塾大学文学部卒業
活動期間1970年[1][2] -
ジャンル小説エッセイノンフィクション
代表作『蒸発』
Wの悲劇
主な受賞歴第26回日本推理作家協会賞(『蒸発』)
第10回日本ミステリー文学大賞
デビュー作『天使が消えていく[2]
配偶者出光芳秀
影響を受けたもの

エラリー・クイーン

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夏樹 静子(なつき しずこ、本名:出光 静子[3][4](いでみつ しずこ))、1938年12月21日 - 2016年3月19日[5])は、日本小説家。旧姓名の五十嵐 静子名義による作品もある。

日本の女性推理小説家の草分けであり、繊細な心理描写と巧みなトリックによる『蒸発』『Wの悲劇』などの秀作により「ミステリーの女王」と称された[1][6]。夫は新出光会長の出光芳秀[4](いでみつ よしひで)。兄は小説家の五十嵐均[7]
来歴・人物

1938年東京府(現東京都港区西久保に生まれる。1943年静岡県熱海市に転居。戦時中は榛原郡川根町に疎開した[8]熱海市立第一小学校熱海市立熱海中学校日本女子大学附属高等学校を経て[8][9]慶應義塾大学文学部英文学科を卒業[10]

1960年、大学在学中に五十嵐静子名義で執筆した「すれ違った死」が江戸川乱歩賞候補となり、それがきっかけでNHK総合テレビの推理クイズ番組『私だけが知っている』のレギュラーライターに抜擢され、以後3年間で約30本の脚本を執筆する[3][11]。この番組には鮎川哲也島田一男土屋隆夫ら、のちの巨匠小説家(当事は中堅、新進クラス)が多く脚本で参加しており[3]、その顔ぶれの豪華さもあって後年脚本集なども出版されている。1962年3月、夏樹しのぶ名義で短編「赤い造花」を『女学生の友』増刊号に[3]、同年6月に中篇「ガラスの鎖」[注釈 1]を『宝石』に発表[11][12]1961年秋には仁木悦子戸川昌子らと女流推理小説作家の会「霧の会」を結成し、名実ともに女流小説家の仲間入りを果たすが[3]1963年、大学卒業後すぐに結婚して[13]福岡市に移り住んだため早くも小説家への道を諦め、主婦業に専念することとなる[3]

その後4年ほどは執筆のことなど忘れたように過ごしたが、ある日自分の長女を胸に抱いていた時、人生経験がほとんどない自分が唯一実体験できた“母と子のありさま”を書いてみたいという突然の衝動を覚え、『天使が消えていく』を執筆[3]1969年、夏樹静子名義でこれを応募したところ第15回江戸川乱歩賞の最終候補に残り、再び注目される[14]。同年10月、長男を出産[3]。翌1970年に『天使が消えていく』が出版され、本格的な小説家デビューを果たす[2]1973年、『蒸発』で第26回日本推理作家協会賞を受賞[4]。『第三の女』は仏訳(La Promesse de l'ombre)され、1989年、第54回フランス犯罪小説大賞(ロマン・アバンチュール大賞)を受賞[4]。中国語訳『蒸発』『Wの悲劇』は、北京探偵推理文芸協会賞の翻訳作品賞を受賞(1998年、2001年)。

シリーズ作品として「検事 霞夕子」シリーズや「弁護士 朝吹里矢子」シリーズなどがあり[4]、これらのシリーズは短編集として刊行されたもので、テレビドラマ化もされている。

エラリー・クイーンを尊敬しており、フレデリック・ダネイと親交があった[2]。1982年にはクイーンへのオマージュ作ともいえる作品『Wの悲劇』を刊行[15]。クイーンの作品『Xの悲劇』『Yの悲劇』『Zの悲劇』をもじったタイトルで、事前にクイーンに許可を求めた上で書いたものである。『Wの悲劇』は、薬師丸ひろ子主演で映画化され話題を呼んだ(ただし、映画は夏樹静子の『Wの悲劇』を舞台で演じている女優がスキャンダルでのし上がっていくというオリジナル・ストーリーであった)。夏樹も約300本ある自身の作品の中で、指折りのミステリーと自負している[16]

1984年にはノンフィクション『妻たちの反乱』がベストセラーとなり、続編も書かれている。1992年に『白愁のとき』で老いの問題を扱い、1997年には自身の体験を綴った『椅子がこわい-私の腰痛放浪記』を刊行、精神的原因から来る身体の不調について広く知らしめ、日本で心療内科が広まるきっかけを作り、同書は今でも版を重ねている。また1999年に試験管ベビーの問題をミステリー形式で扱った『茉莉子』を刊行、女性の視点から数々の社会問題に取り組んでいる。

囲碁が趣味。一時期ドライアイに陥り、碁石の白黒が眼に刺激を与えて良くないと医者に言われたため、52歳の時、濃い緑と薄い緑の「グリーン碁石」を開発[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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