声優養成所
[Wikipedia|▼Menu]

声優養成所(せいゆうようせいじょ)は、声優を目指している者に声優になるための知識や演技力などを学ぶ機関である。
概要

声優養成所は声優を目指している一般人に、声優になるための知識や演技力などを教授し、養成する機関であるが、学校法人の運営する学校とは違い、声優のマネージメントを主とする芸能事務所が独自で経営している場合が多い。一部の養成所では声優事務所(声優プロダクション)の付属の養成所としてではなく、養成学校のような形式で、単に養成だけを目的(スクールビジネス)としている所もある。

青二プロダクションアーツビジョンIAMエージェンシーなどの声優事務所から、声優個人が経営する事務所まで多くが傘下に養成所を持っており、養成所に通う受講生からの受講費(入所金やレッスン料など)が声優事務所・声優養成所の大きな収入源となっている。
歴史

声優という言葉が初めて使われたのは、ラジオの時代である。1925年7月に東京放送局(現在のNHK)でラジオ本放送が開始される。その年にラジオドラマを放送。1941年にはそのラジオドラマに出演するための俳優を養成するための劇団(NHK放送劇団)を創設した。これが、最初の養成所とも言われている[1][2]。さらに、その第1期合格者を報じるために新聞で初めて「声優」という言葉が使われた。日本で初めて声優という職業を生業とした人は、滝口順平とされる。1953年に地上波のテレビ放送が始まり、1956年には海外ドラマ『カウボーイGメン』が放送され、生放送吹き替え全役を一人で演じたのが滝口である[3]

1970年代半ばになると『宇宙戦艦ヤマト』、1979年に『機動戦士ガンダム』が放映され、人気をはくした。また、1981年に初のOVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)『ダロス』が作られ、アニメの世界に新しい分野が生まれる。これまでアニメは子供が見るものであるといわれていたが、このブームによりアニメは娯楽としても市民権を手に入れた。アニメブームに伴って、声優への注目が高まり第二次アニメブームと呼ばれるほど盛り上がったこの時期にぷろだくしょんバオバブ81プロデュースアーツビジョン大沢事務所などの声優事務所が設立され、既存のプロダクションは声優専門の養成所を設立した。声優の専門養成機関が本格的に誕生したのはこの時期である。この時期に声優志望の若者が育成所に入り、そこを卒業し事務所に採用されれば新人声優となる。日本俳優連合のランクに登録され、アニメのアフレコを中心に活動するという今の形が確立した。そのような形で育てられた声優たちが大ブレイクするのが、第三次アニメブームである。

1992年の『美少女戦士セーラームーン』の放映により声優人気が爆発した。これはキャラクターの人気から派生するものとは異なり、声優個人に魅力を感じ始めたことによる、アイドル世界への新たな発信源となった。

こうして1990年代から、声の出演にとどまらず声優個人のCDデビュー、コンサート、写真集の出版と活動が幅広くなり、声優雑誌も創刊され、声優を目指す人が増加した[4][5]

声優養成所に通う人が増えている要因として、アニメ市場の拡大があげられる。一般社団法人日本動画協会の「アニメ産業レポート2016年」によると、第三次アニメブームの1992年は、アニメ番組の放映作品数は91本だった。しかし、2015年の放映作品数は約4倍の341本に増えている。市場規模も1兆8000億を超えた[6][7]。以降、アニメが身近になることにより、若者の関心が増えていった。そして、声優の活躍する場も増加し、その認知度が上がっていったために、目指す人が増えたとみられる。

1997年には朝日新聞が、「声優養成所『日本ナレーション演技研究所』では、4年前に比べて3、4倍の志望者が来ており、『これまでは芝居の経験者が多かったが、最近は初心者が増えて、年齢も下がってきた』。今年4月に、おもちゃメーカー、バンダイの系列会社『ミューラス』が開校したタレント養成所の声優・俳優コースでも、声優の希望者は俳優の3倍に上るという。声優の中には武道館コンサートを開いた人気声優もいる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:30 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef