士別軌道
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士別軌道株式会社
Shibetsu Kid?

種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
095-0022
北海道士別市西2条6丁目1931番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯44度10分29.87秒 東経142度23分22.55秒 / 北緯44.1749639度 東経142.3895972度 / 44.1749639; 142.3895972
設立1919年(大正8年)8月20日 [1]
業種陸運業
法人番号6450001007522
事業内容一般旅客自動車運送事業(乗合貸切)、他
代表者井口 裕史(代表取締役)  
資本金1,000万円
外部リンク ⇒http://www.s-kido.jp/
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士別軌道株式会社(しべつきどう)は、北海道士別市に本社を置きバス事業を行う企業である。かつては軌道軽便鉄道)事業や貨物運送事業も行っていたが、軌道事業は1959年(昭和34年)に、貨物運送事業は1988年(昭和63年)にそれぞれ廃止されている。
概要

1917年(大正6年)7月、天塩軌道株式会社創立発起人の大久保虎吉らにより、士別 - 上士別の馬車軌道敷設が出願される。同社はもともと国有林資源の、主に富士製紙(合併後は王子製紙)向け林材輸送のために設立された[2][3]。初代社長として大久保が、第2代には奥野が就いたが、その後は富士製紙の子会社となったことにより、同社から社長が就任した[4]

当初は士別営林署所轄、後に朝日営林署所轄となった士別森林鉄道(奥士別 - 天塩岳御料地内間30.5 km、辺渓線10.2 km、似峡線7.0 km、咲留線3.7 kmなど)と奥士別で接続して、その木材を士別駅土場へ運搬するという、いわゆる連帯輸送業務を行っていた。奥士別には皇室の御料林があり、1939年(昭和14年)に当時の宮内省帝室林野局が木材の円滑な搬出、運送を目的として同社の株を取得し皇室財産に編入された。

戦後、皇室財産は国庫に編入されることとなったため、同社の株式は1949年(昭和24年)に農林省林野庁の下で国有林野事業特別会計に引き継がれ、永らく発行済株式の約95%を国が保有していた。そのため地方のローカルバス会社にもかかわらず会計検査院法が定める「国が資本金の2分の1以上を出資している法人」に該当し、政府関係機関として会計検査院の検査対象となっていた。しかし、その後林業をめぐる情勢の変化により、1988年(昭和63年)頃にはほとんど運材がなくなり、トラックによる運材部門が廃止となり、国が株を保有している必要がなくなった。そのため地元の士別市及び朝日町に対し株式の買い取りを求めたが、買取価格が折り合わず難航した。その後2001年(平成13年)9月26日に国が保有する株式の一部を売却したため、同年度を最後に会計検査の対象から外れることとなった。
年表

1917年(大正6年)7月 - 軌道敷設が出願される。

1919年(大正8年)

4月7日 - 天塩軌道株式会社発起人 大久保虎吉他52名に対し、内務省鉄道院から馬車軌道の軌道敷設特許状が下付される[5][6]

6月10日 - 天塩軌道発起人らが士別軌道株式会社設立総会を開催[6]。1株あたりの額面は50円、株主総数は約45名[7]

8月20日 - 士別軌道株式会社設立(23日登記)[1]


1920年(大正9年)6月1日 - 士別 - 上士別間11.9 kmで軌間762mmの馬車鉄道が開通[8]

1924年(大正13年)

富士製紙(1933年王子製紙に合併)が株式の大半を保有する。

8月26日 - 士別軌道株式会社に対し、鉄道省及び内務省から上士別地内の軌道延長6M16C(約10 km)敷設特許状が下付される[9]


1925年(大正14年)6月6日 - 士別 - 奥士別間21.4 kmが全通[8]

1928年(昭和3年)9月17日 - 動力をから蒸気へ変更[8][10](10月3日実施[11])。蒸気機関車4両、客車4両、貨車50両導入[10]

1931年(昭和6年)12月 - バス事業の免許取得し、翌年4月より運行開始[12]

1939年(昭和14年) - 王子製紙より帝室林野局が全株式を取得、王子製紙は同社から撤退[8]

1942年(昭和17年)〜1947年(昭和22年) - バス事業休止[8]

1944年(昭和19年)6月前後 - 浅野セメント士別工場へ同社奥士別採掘場から原料の石灰石の運搬開始[13]

1948年(昭和23年)

奥士別森林鉄道と相互乗り入れ開始。

9月 - バス事業再開。


1949年(昭和24年) - 国有林野事業会計で株式保有を継承。

1942年(昭和27年) - 冬季除雪の向上により、バス路線が通年運行となる[12]

1954年(昭和29年) - ガソリン機関車導入。

1956年(昭和31年) - ディーゼル機関車導入。

1959年(昭和34年)

6月9日 - 軌道線撤去開始[12]

10月1日 - 軌道線全線廃止[14][12][15]。バス・トラック専業となる。


1962年(昭和37年)4月 - 名士バス士別営業所管轄路線を買収[16]

1988年(昭和63年) - 貨物運送事業(トラック)を廃止。

事業所


本社朝日待合所


本社・本社営業所

北海道士別市西2条6丁目1931番地

乗車券窓口および待合室を設置する。



朝日待合所

北海道士別市朝日町中央

旧朝日営業所。待合室が設置される。



軌道事業(廃止)

士別軌道
路線総延長21.4 
km
軌間762 mm
凡例


宗谷本線


0.0士別


1.4兵村



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