檀 一雄
(だん かずお)
1955年
誕生 (1912-02-03) 1912年2月3日
山梨県南都留郡谷村町
(現・都留市)
死没 (1976-01-02) 1976年1月2日(63歳没)
福岡県福岡市東区
九州大学病院
墓地福岡県柳川市福厳寺
職業小説家
言語日本語
国籍 日本
最終学歴東京帝国大学経済学部
活動期間1935年 - 1976年
主題放浪
古典や説話のオマージュ
人間の宿痾
料理
文学活動無頼派(新戯作派)
代表作『リツ子・その愛
檀 一雄(だん かずお、1912年〈明治45年〉2月3日 - 1976年〈昭和51年〉1月2日)は、日本の小説家、作詞家、料理家。
私小説や歴史小説、料理の本などで知られる。「最後の無頼派」作家・文士ともいわれた。また、西遊記の日本語抄訳もある(東京創元社ほか)。
代表作は、律子夫人の没後に描いた『リツ子 その愛』『リツ子 その死』、時代娯楽作品も人気があり『真説石川五右衛門』(1950年、第24回直木賞受賞)、『夕日と拳銃』など、また20年以上に亘り、書き継がれライフワークとなった遺作『火宅の人』(1986年、東映で異父弟のプロデューサーの高岩淡の企画、深作欣二監督、緒形拳主演により映画化)など。
長女は女優の檀ふみ。長男はエッセイストの檀太郎[1]。妹は左翼活動家でイラストレーターの檀寿美。作家の嵐山光三郎とは嵐山が編集者時代から親交が厚かった。 山梨県南都留郡谷村町(現在の都留市下谷)[2]に図案の技師として、県立工業試験場に勤めていた父・参郎、母・とみの長男として生まれる。檀家は本籍地が福岡県山門郡沖端村(現:柳川市)で、柳川藩の普請方を務めた家柄であった。父の参郎は山梨県立工業学校の図画教員で、繊維工業試験場の嘱託も兼ねていた。1914年(大正3年)、父が退職したため福岡へ戻る。翌1915年(大正4年)、参郎の画業修行のため上京して谷中に住むが、生活が困窮し翌年には再び帰郷し、母とみの実家である久留米に住む。栃木県足利の尋常高等小学校に通うが、1924年(大正13年)には両親が離婚する。この年には栃木県立足利中学校へ進学。 1928年(昭和3年)には福岡高等学校文科乙類へ入学。この頃には同人誌を製作して小説や詩を発表しており、社会主義読書会へも参加して停学処分を受けた。1932年(昭和7年)、東京帝国大学経済学部に入学。1933年(昭和8年)、同人誌『新人』を創刊し、処女作「此家の性格」を発表[3]、瀧井孝作や林房雄らの賞賛を受け、尾崎一雄を紹介される。同年、太宰治、井伏鱒二の知遇を得、師と仰いだ佐藤春夫とも知る。この年には11年ぶりに母とみと再会している。1934年(昭和9年)、古谷綱武と同人誌『鷭』を創刊するが二号で廃刊。太宰治、中原中也、森敦らと『青い花』を創刊、翌年、日本浪曼派に合流する。 1936年(昭和11年)、「夕張胡亭塾景観」が第2回芥川賞候補となる。
来歴